こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

《益田ミリ》作品の主人公にオンナの性(さが)を感じる理由…奥底にひそむ○○に気づくとき

Kohyuzuです。花粉に毒されています。この2、3日で一気に症状が、ハナ開いてしまいました。桜の開花便りも、長崎県から一番乗りで、届いたようです。

池の周りでは、たくさんの鳥たちが、毛づくろいをしたり、飛び跳ねたりしていて、とても楽しそうです。なかでも、ウミネコが、毎度、猫がケンカしているような、首を絞められたような…素っ頓狂な声を、間欠泉の如くあげるので、何度、聞いても、笑ってしまいます。そして、谷村新司さんの「海猫」が、脳内再生される。私の目に映るウミネコたちと、この曲の世界観が、あまりにもかけ離れているからこそ、繰り返し再生してしまうんだなっと思って、毎朝、つきあっています。

さて、遅々として進まない、前回のブログのつづき。書いては、消してを繰り返し、気づけば6日が経過。毎日書くのは、早々にあきらめた私。けれど、武田真治さんが【どんなに忙しくても、筋トレを3日は空けないようにやっている!】と言っていたのを受け、私もブログを「3日以上は空けないぞ!」と、心を入れ替え始めた矢先、アララ…脱落してしまった。

筆が進まないものは仕方がないので、このまま放置しておくことにする。それでも一応、答えあわせだけ。〈A〉が「思いやり」、〈B〉が「慮る」を表わすカードです!

 

好きな作家《益田ミリ》さんについて

なぜか、手放せない文庫たち

皆さんは、益田ミリさんというイラストレーター(肩書はこれでいいのか?)をご存じだろうか。彼女のエッセイは、読んだことがないのだが、4コマ漫画が好きで、《すーちゃんシリーズ》をはじめとする文庫を15冊ほど、手元に置いている。私が一人の作家さんの本を何十年も、置いておくのは、かなり珍しいことである。しかも、益田ミリさんの文庫に限っては、購入して、途中で手放した本は一冊もない。

他には、個人的に、似たようなジャンル(ゆるめ・脱力系の画、イラストで描いてあるがマンガとはちょっと違う)で、区切っている好きな作家に、たかぎなおこさん、K.m.pさん、鈴木みきさん、高橋由香利さんがいる。一時期はまって、よく読んでいたが、引越を繰り返すうちに、どこかで手放してしまった。今では、食べ物ネタの単行本が数冊、残っている程度だ。

他の作品と一線を画する理由

だが、益田ミリさんは、違う。私の本棚の中ほど、それも、なかなかのイイ場所に、いつも並んでいるのである。例えば、「きみの隣りで」は、森の近くに引っ越した早川さんが主人公の物語である。その文庫の帯には《優しさがじわじわ広がる!》とある。ニャハッ。実は、この帯、私には全然しっくりこない。全身がムズ痒くなったのち、歯ぎしりをしたくなるくらい、そぐわないキャッチコピーなのだ。そう、この感覚。これこそが、私にとって、益田ミリという作家が、他の作家と一線を画する理由なのである。

彼女が描く主人公は、一見、素朴で、マジメで、いわゆる【よい人】である。ノビノビしたり、クヨクヨしたり、イライラしたり…に忙しく、等身大の自分に重なる毎日を、一生懸命に生きている。非日常ではなく、平凡な日常を丁寧に描いているからこそ、主人公たちがイキイキと輝きを増すように、私には思える。そして【よい人感満載】の笑顔の裏、奥底にひそむ悪意・底意地の悪さが、ところどころで顔を見せ、脳裏にちらつくのだ。このゾッとしない感じこそが、益田ミリのすごさであると思うのである。

主人公に感じるオンナ

妬み、嫉み、恨みつらみ、【オンナの性(さが)】ともいうべき、ネガティブな逞しさを、一見して、素朴で純粋な主人公の世界に、ハメる技術。私には、たまらなく愛おしい。まさに、快感(カ・イ・カ・ン♡)である。しかも、うまいのかへたなのか、よく分からない、薄く細い線で描かれたイラストが、益田ミリさんの描く主人公に、ポジティブな躍動感を生みだしている。ここでも、やはり、先に書いた《あだち充さん》に通じるような、見事な「間(マ)」、独特の余白をみてとることができると思うのだ。よろしかったら、過去記事へ👇

hrmk9-wonder.hatenablog.com

誤解のなきよう、伝えておきたいのは、私は、益田ミリさんを、決して【ディスっているのではない】ということだ。いかにして、人間の根っこの部分にあるもの、人に対して感じ入りてやまないもの、興味・関心、愛情、欲望、恐怖などを、きちんと観察・洞察して描き出すか。ほのぼのとしたタッチに潜む意外性、非常に繊細な感性・心の動きに、共感と尊敬を覚えているのである。

サラッと読める作品であることは間違いない。だが、読み返すごとに、新たな味わいをかみしめる作品であると思う。また、読み手の心の状態によって、主人公に対する印象が、微妙に変化する、稀にみる作品であるともいえそうだ。

最後に

日々、みえない悪意に曝されていると、ドス黒い感情に溺れてしまいそうになる。けれど、そういった感情を何もなかったことのようにスルー出来るほど、私は人間ができていないのである。ダークな自分、ダークさをむき出しにする相手にこそ、私は、ウソのない人間らしさを感じる。【よいところも、悪いところも、全部ひっくるめて私である】ことに気づくのは、OSHO禅タロットの教え【14.統合】の世界でもある。

前回のブログの記事にも通じるのだが、【人が何に対して怒りを感じるのか?】を知ることは、相手を理解する上で案外、重要なことではないかと、私は思っている。つまり、人の怒りに触れたときこそ、相手を理解するチャンス!だと思うのである。似たようなことを、漫画か小説の主人公が言っていた記憶があるのだが、どうしても、そのタイトルが思い出せない。

益田ミリさんの作品は、私にとって、【悪意】と寄り添うことを許し、【統合】の世界へといざなう、水溶性の【ビタミン】のような存在である。とり過ぎると意味がなくなるけれど、適度にとり続けることで、瑞々しさを与えてくれる。細胞の隅々まで浸透して、心の活性を助けてくれるもの。あぁ、花粉だけでなく、益田ミリにも毒されている私。

最初の1冊は、あなたがニュートラルな状態のときに、手にとってほしい。ぜひ、あなたの本棚にも、益田ミリさんの作品を!

すーちゃん (幻冬舎文庫 ま 10-2)

すーちゃん (幻冬舎文庫 ま 10-2)

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)