こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

ガンの3年生存率が100%!それがどうした。

大切な人の病いは他人事ではありません。生物は必ず死を迎えます。避けては通れない事実です。生があるからこそ死がある。死があるからこそ生は輝く。ずっとそう思ってきました。

大切な人の病いは、何度も何度も死生観への問いを突きつけてきます。あなたはどうする?どうしたい?その大事な人の病いにどう向き合うの?と。その答えに正解はなく、解などあろうはずもなく、だけど想いは揺れながらも、相手と対峙した時間の分だけどんどん積み重なって、重みを増していく。

父に前立腺癌という診断がついた日から6年。前立腺癌なんて明日死ぬ病気じゃないでしょう?生存率高いから、まだまだ何でもできるよ。幾度、このような言葉を投げかけられたことだろう。そうだね…。早期発見ならね、ステージ1ならね、新型コロナワクチン接種で重篤な副反応が出て亡くなる確率よりも、3年生きていられる可能性の方が高いのかもしれないよね。

前立腺癌の3年生存率が100%なら、ステージ4でも3年間は猶予期間あるという予測になる。今まで病と共存する人に幾度となく私自身が放った言葉が、全部、殺傷能力を何倍にも増して返ってくるような感覚。自分も他人事だったんだなーと。何年生きていられるかなんて、そんなの気休めにもならないじゃないか。

父は、身体は強くない。多分、普通よりちょっと弱い。私もそんな父の体質を大いに受け継いでいるように思う。普通の基準なんて曖昧すぎて笑っちゃうけど…。そんな虚弱な父も、父よりもっと病気がちだった祖父が80歳まで生きたのを見て、事あるごとに親父の歳までは生きるぞ!と言っていた。

そんな父が前立腺癌、ステージ4、多発性骨転移数十箇所と診断されて、もう、あと3ヶ月の命だ…と悲観し、身辺整理を始めたのが68歳の春。つい、この間のことのように思える。

あれから6年目の今夏の終わり。父との別れのときが近づいている。確実に近づいているのだ。