こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

《あだち充さん》の漫画に安心する理由…ワンパターンの先にある確かなもの

Kohyuzuです。今日は新月です。願い事をしたり、新しいことをスタートさせたりするのを、後押ししてくれるお月様なんだとか。《月が満ちるはじまり⇒思いを膨らませる⇒願いが叶いやすい⇒行動を起こす》というようなイメージでしょうか。ご先祖様の叡智は素晴らしい。とてもロマンティックだなと思います。さて、本日は、天空から大地へと、いきなり、現実に引き戻す《昆虫の話題》から…行ってみよー!

何日か前の日経新聞に、長野県の【ざざ虫】の記事が掲載されていた。そこで、不意に既視感を覚えたのである。なぜか!それは、先日、井の頭線に乗っていたとき、目の前に立っていた学生2人の会話を思い出したから。そう、学生の1人はまさに、長野県出身者らしく、昆虫の佃煮が好物だというのである。もう1人も、昆虫の話題に怯むことなく興味津々に切り込み「今度、実家から送ってもらって、昆虫パーティをしよう!」と、一緒に食べる約束をしていた。《ひぇー、凄い!デモ、私もちょっと興味あるなー》と、つい会話に加わってしまいそうな勢いで、耳を澄まして、2人の会話を盗み聞き楽しんだのである。

このような偶然に居合わせると、とてもテンションがあがる。そうして、どうしても【ざざ虫女子】は、いかなる容貌をしているのか、拝んでみたくなった私。終着駅で降りるとき、2人の顔を思わず、ガン見してしまった。お肌ピチピチで色白の2人は、背の高さも髪の長さも、相反する凸凹コンビ。朗らかな笑みで、お喋りに夢中の昆虫女子を目の前にして、妙な【安堵と安心感】を覚えたのである。「日本は大丈夫!」と強く、感じた瞬間であった。


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そう、その【安堵・安心】つながりで、心に浮かんできたのが、漫画家のあだち充さんの作品なのだ。【ざざ虫女子⇒あだち充】に思いを馳せるとは、なんとも奇妙なのだが…。私は、あだち先生の裏切らない感、オチがワンパターン(誉め言葉です)の作風に、愛着を抱いているのである。一定期間離れていると、ふたたび無性に読み返したくなる作品は、色あせることのない喜びを与えてくれる。あだち充作品の中で、1番読んだのは【陽あたり良好!】だ。子どもの頃、何度読み返したかわからない。従兄弟の家に遊びにいっては、マンガ部屋にこもり、必ず最初に手に取るのが、この1冊であった。

私は、記憶力が良い方ではない…(というのは控えめな表現)いえ、記憶力はダメダメなので、気に入った作品は、何度も読み返すクセがある。それでも、やっぱり忘れてしまう。そして、また、ふと読み返す。この繰り返し。記憶力のなさをこのときばかりはありがたく思う。いつでも新鮮に、漫画そのものを堪能できるからだ。

今、楽しみにしている作品は、アニメ化された「クロスゲーム」。コミックでは、読んでいなかったので、ラッキーとばかりに毎週チェックしている。しかし、初回で主人公らしき女の子が亡くなってしまい、とても驚いた。(あっ、ネタバレしてもうた。ごめんなさい。)そして、現在進行形で楽しみにしているコミックが「MIX」である。「タッチ」世代の方なら、ぜひ、手にとってほしい作品だ。まさか、タッチの世界観そのままに、夢の続きが見られるとは。ありがとう☆あだち先生!

あだち先生の作品は、なにを読んでも、水戸黄門的なほのぼの感がある。そう、冒頭に書いた既視感だ。《あれっ?読んだことあるかも。》と思う。そして、《多分、こういう展開になるな。》とも思う。けれど、いつ読んでも、期待を裏切らない安定感がある。「定番のおかず」もとい【定番の漫画】。そして、なにより、手抜きならぬ空間の広がりを贅沢に味わうことのできるコマ割り。無駄が極限まで削ぎ落とされることによって、生みだされる画・セリフ回しは、小気味よく見事である。軽快なテンポを隅々まで成立させる演出は、天才的だと思う。あだち充さんのワンパターンの先には、独特の間と余白に残された可能性、読み手の想像力をかきたてる構成が確かに存在している。まさに、秀逸である。個人的には【じんべえ】がイチ推しデス。短編読み切りですので、読んだことがない方は、ぜひ!

じんべえ (小学館文庫 あ 1-1)

じんべえ (小学館文庫 あ 1-1)

 

 

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Kohyuzu(こうゆづ☆)