こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

【3.11】の祈り…《数字》という記号に込められた記憶、その思いをみつめて

Kohyuzu です。風は吹き荒れていましたが、暖かい1日でしたね。本日の72候は、《桃始笑(ももはじめてさく)》だそうです。花が咲くことを《笑う》と表現するこのセンス!昔の人々の五感の鋭さと、たおやかな言葉の表現に、ほれぼれします。

本題へ。3月11日にブログを書いていたのだが、投稿前に日付が変わってしまい、やる気消失。ボツ原稿にしていた。けれど、必ずしも【ボツにする】必要はないではないか!書きたいことは書くのだ…と開き直り、ブログを一部、書き換えて投稿することにした。

【3.11】は、恩師の誕生日。このお祝いの日に、8年前からは、震災という事象が加わった。毎年この日を意識して、生きていくこと、祈りや黙祷を捧げることが、なんの役に立つのか分からない。けれども、必ずしも事柄に意味づけをする必要があるとも限らない。ただ、自分にできることを粛々と行うだけである。

 

数字という記号に込められたもの

2019年は【3】の年

私たちの周りは、情報にあふれている。なかでも、日常で数字を目にする機会は、案外多いことに気づく。スーパーに行けば自然、価格が目に入る。交通標識、駅構内、3歩歩けば数字にあたる…という具合に、【数】は、我々の生活に密接に結びついている。室内でも、リモコン、パソコン、スマートフォン、カレンダーなど、挙げるとキリがない。

厳密には、【数と数字】というのは、別ものである。

【数=概念】であり、自然数素数・整数・無理数…のように、目にみえないもので、物質をして示すことができないもの。【数字】は、数を表現するための文字、記号。漢数字、ローマ数字、アラビア数字などのことで、数そのものを表わすわけではない。《気になる方は、ぜひ検索してみてください。何気なく使っている数の神秘に触れることができると思います。》

話を戻す。ピタゴラス創始者といわれる数秘術の世界では、2019年は【3】の年にあたる。この数字は、2+0+1+9=12⇒1+2=3で、一桁の数字になる(例外あり)まで、足し算を繰り返すことで得られた数(数字根)である。

3の数字がもつ意味(Key Word)には、【豊かさ・繁栄・成長・発展】などがあり、そこには、創造性に通じる【明るさ・希望】のようなものが含まれているように思う。

ラッキーセブン【7】、【13】日の金曜日、獣の数字(ヨハネの黙示録)【666】、煩悩・除夜の鐘【108】などなど、数字が象徴するもの、明確な意味づけがなされて記号化したものは、この世界に多々、存在している。ことさら、個人にとって意味をもつ数字のひとつには、【誕生日】があるのかもしれない。人生の節目や転機、記念日など、数字が担う役割というのは、意外と、正確さが求められるシビアなものだ。

一方で、数字は、機密文書の暗号のように、国の根幹を揺るがすような重要な意味をもつ記号としての【強力で危うい】側面もあわせ持つ。世界共通言語として通用する数字もあれば、こめられた象徴・意味が、国によって異なる数字もある。数・数字のもつ側面は、実に多彩である。

とどのつまり、【3.11】という数に込められる思いは、今後も我々日本人の記憶と共に、あり続ける。ここで、数に込められた記憶…に、思いを馳せてみる。

【8.6】に刻まれた記憶

生まれも育ちも、広島市の友人にとって【8.6】は、人生と切り離せない特別な日である。物心つく頃から繰り返し聞いた戦争の話。ご先祖様から受け継がれてきた願い、その教えに耳を傾けるうちに【8.6】という数は、《祈りのシンボル》として、記憶の中に、深く深く刻みこまれていったのだと言う。

20代の頃、その友人と【8.6の朝】を旅先で、一緒に迎えたことがあった。【午前8時15分】友人は、おもむろに広島の方角に向かい、1人黙祷した。この凛とした光景を、私は生涯、忘れることがないだろう。頭を殴られたような衝撃を知覚すると同時に、心がチクリチクリと痛みはじめた。己の能天気な無自覚を、恥じた瞬間でもあった。そうして、不意に浮かんだ【無知の知】いう言葉をかみしめていた。

【3.11】への思い

私が、心を痛めたからといって、誰かにこの思いが伝わるわけではなく、まして、誰かを助けることにつながるわけでもない。この上なく、不毛な感傷でしかないのである。日々生活していく上では、現実的に役立つ行動を起こす方が、はるかに重要で、賢明といえるだろう。起こってしまったことは、事実として受け止め、自然の流れに身を任せて生きていく方が、健全であるともいえる。

たとえ、そうであったとしても、私はこれからも、【3.11】が訪れるたびに、手を合わせ続けるだろう。〈ありふれた日常へ、ささやかな【感謝】を込める日〉として、過ごすことを選択したい。自己満足であってもよいのだ。風化しない記憶が辿る月日の中にも、未来は在る。数字のもつ不思議…その謎解きの最中に、私は存在しているのだと信じている。

 

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最後に 

あなたにとって、数字とは何ですか?
大切にしている数字は、あるでしょうか?

数をみつめることで、思いがけず、記憶がよみがえったり、閃き・気づきのような発見があったり…嬉しい驚き、愉快な体験が、あなたを待っているかもしれませんよ。

数字というのは、本当におもしろいものですね…。それでは、また次回をお楽しみに。さよなら・さよなら・さよなら…(このフレーズでピンとくる方!同世代ですね。)

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)