こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

妖怪noことほぎ★今日と明日の30文字なるもの【the 20-21th】

ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。昨年ノイタミナ枠で、吉田秋生さんの〈BANANA FISH〉を放映していたのですが、ほとんど見ることが出来ずにいました。私にとって〈BANANA FISH〉は、青春のバイブルです。Amazon Primeでみつけたときの喜びといったら!

先日から少しずつ、見始めて、遅ればせながら、ようやく最終回に辿り着きました。「しみじみ、イイなー。」と、原作を読み返したくなりました。実家においていた漫画は、ほとんど処分してしまったので、再読するとしたなら大人買いだな…。当時、この作品の終わりについては、喧々諤々、かなりの物議をかもしていたのを思い出しました。

私は、ハッピーエンドが好きです。だから、本来なら、アッシュの眠るような最後は、受け入れられないはずなのですが、当時も、今回も、なんの違和感もなく、ストーリーがストンと、胸の中に入ってきました。恐らく、アッシュの表情が、全てを回収しきっていると、そう感じることができたからだと思います。図書館の職員がアッシュに声をかけるシーン。どうして、このようなストーリーが描けるのだろう。

当時も今も、吉田秋生さんの描くアッシュは、私の中にイキイキと息づいています。私は、一度みたり、読んだりしたくらいでは、内容を把握できません。だから、好きな作品に出会ったら、最低でも10回は読み返します。作品によっては、100回を超えても、なお、ページをめくる手は、新たな感動と余韻を呼び起こしてくれます。このときばかりは、自分の忘れっぽさに感謝です。何度でも、楽しめます!

それでは、今日も妖怪がおくる【今日と明日の30文字なるもの】へ、いってみよー!

 

【0527】今日の妖怪365

岩魚坊主:一寸の虫にも五分の魂
《はじめの一歩》自然生態系のつながりに、感謝しましょう。私たちは、食物連鎖の只中にいます。

 

【0528】明日の妖怪365

浪小僧:情けは人の為ならず
《はじめの一歩》支えてもらったら御礼を言いましょう。そして今後は、あなたが他の誰かを支えましょう。

 

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今日の妖怪は【岩魚坊主】でした。岩魚坊主は、東北地方に伝わる【毒もみ】という漁法が生み出した魚の精(妖怪)です。山椒の実の皮は、魚にとっては有害な毒で、川に流されると、川に住んでいる魚たちが全滅してしまうのです。毒で弱らせてプカプカと浮いてきた魚をとるといった、かなり、えげつない手法ですね。

この漁法をやめさせたい一心で、魚は、お坊さんと化して、【毒もみ】を行わないように忠告しますが、相手にされませんでした。漁師たちは、もっていた握り飯や菓子をお坊さんに渡して、追い払ったのです。果たして、浮かんできた1匹の魚の腹から、今、漁師たちが分け与えたはずの握り飯が、そのまま出てきたそうです。なんとも奇怪な伝承ですが、岩魚坊主は、自分も仲間も無用に殺されて、さぞ無念であったでしょうね。

 

今日は、どうしても外せない予定があって、6時間ほど外出しました。最近では、犬たちの体調のことがあるので、連続して〈6時間〉自宅に誰もいない状況というのは、作らないようにしています。一か八かのかけに近い、外出時間。身体にムチ打ち、急ぎ、走っているつもりで自宅へ戻りました。

こうして、ドタバタと散歩に出かけ、戻ってくると、ボンとタマコがすごい勢いで、玄関の扉の向こうへと、吸い込まれていくではありませんか。〈えっ、何事か!〉そう思った先に、な・なんと【鶏卵大のウンチ】が、こじんまりとしたお姿で、鎮座しておりました。思いもよらぬ、シュールな光景に、爆笑してしまいました。

狭い玄関に、2頭と1人が集合して、誰もこのウンチに気づかずに(いえ、ウンチの創造主のボンには、わかっていたかもしれませんが)出かけて、扉を開けた途端に、2頭と1人の瞳が、ものすごい勢いで、ウンチの姿を捕えて反応する。一気に、熱を帯びた眼でみつめられたウンチは、きっと赤面したことでしょう。一瞬だけ、疲れが吹き飛びました。

 

このウンチのお話しは、本日、偶然に起きた出来事なのですが、あえて書いたのには、理由があります。

私は、【排泄物・ウンチ】をみると、生物の営み・生命循環の流れのなかに、私は存在していることを、ヒシと感じるのです。まるごと宇宙に包まれて、その空間の一部となって、生きていることを実感するのです。なぜか?

排泄物というのは、言ってしまえば、単なる【食物残渣】です。人は、口から摂取した食物を、最終的にはカスの状態へと姿を変えて排出する。つまり、カス以外は、我々の肉体の骨となり血となり、生命の源となって、体内に吸収されているのですよね。ウンチを見ると、〈今日も、他の生物の生命をいただいて、私は生きているのだ〉ということを、自然と意識する。たかが、ウンチ。されど、ウンチなのです。

いわば、ウンチは、人類の身体の不思議、この世に生きとし生ける物の生命の不思議へと、想像をかきたてる神秘の産物だと思うのです。ウンチは〈人類の小宇宙〉だった!だからこそ、玄関に転がっているウンチが、なんだかとても愛おしくて、可愛いなーなどと、思ってしまったのだと思います。もう、かなりの変態ですな。

この世にある生命は、人だけが自由に扱い、コントロールすることを許されているわけではないことを、理解すること。無用な殺生は、この世の自然体系を、大きくゆがませることになる可能性を、心にとめておくこと。岩魚坊主の教えは、崇高な悟りの境地に開かれたものであると、いえるでしょう。

それでも、やっぱり、ゴキブリは、しとめちゃうかな。まだまだ、悟りには遠そうです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)