こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

【独り言】無知に気づかないフリをする悪意の徒

ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。世界の新型コロナウイルス感染者が60万人を超え、この機会に思うところをダラダラ書きます。おつきあいいただける方は、このままお進みくださいませ。

ある物事の只中にいる当事者と、まだその状況を外部から冷静に観察していられる第三者では、一見、その物事に対する捉え方が乖離しているようにみえる。でも、実際の状況は、当事者も第三者も大して離れてはいないことに気づく瞬間がある。

東京に住んでいると案外、無自覚であるが、故郷から心配してくれる声が届いて、初めて東京は危険地帯であるらしい…と、意識する。東京は、他の地域に住んでいる人から見ると、パニックの域に突入しているようにみえるらしい。

2月上旬に「東京の街に人がいないって、プチパニックになっているって本当?」というメールが届いたとき、私は『確かにいつもより人出はないけど、パニックというのはデマなのでは?』と返した。

だけど、この頃には、すでにマスクは、入荷と同時でないと、手に入らない品薄状態。地方にいる友人からも「マスクが手にはいらないのは同じ〜!」と、返ってきた。しかし、この2月の時点では、お互いに花粉の季節にマスクがなくなることを憂いていた。

マスクの予備も、十分ではない。毎日使用した場合、花粉のシーズンを乗り切れるかどうかギリギリのライン。

ネット上では、いつも買っているマスクが5倍以上の価格で売られている。なんてこった!

2002年にSARSが発症したときも、マスクの価格が、跳ね上がったことを思い出す。アウトブレイク後には、トイレットペーパーなどの紙類も、店頭から消えた期間が、確かにあった。

SARS重症急性呼吸器症候群)の死亡率は9.6%。このうち、65歳以上の基礎疾患をもつ高齢者が半数を占めたとのこと。自然宿主は、ウイルス遺伝子の構造から、野生のコウモリ(キクガシラコウモリ)の可能性が疑われた。

感染経路は、ヒトーヒト。飛沫、濃厚接触感染が主体であるが、空気感染も起こりうるとの報告が残っている。おおよそ、一人の感染者から、一緒に住む家族2,3人規模に、感染が拡大していくイメージ。

その他にも、10人以上の感染源になりうる感染者をスーパースプレッダーという。

感染症は、治療方法がある程度、確立しているものについては、恐れるほど怖いものではない。そういう時代だ。手順を踏んで治療すれば、軽快するのだから。

けれど、今回の感染症新型コロナ(COVID ー19)は、既存のウイルスが変異し、凶暴な顔つきをもつ未知なるウイルスである。それでも、感染症は、初動の対応を誤らなければ、最低限の感染者で、封じ込めることができる疾病でもある。

感染症を舐めてかかると怖い。中世のヨーロッパでは、3度も黒死病が蔓延し、記憶に新しい20世紀初頭にもスペインかぜの流行で多くの死者が出たというのに、なぜ過去の出来事からの教訓を、我々人間は、活かすことができないのだろう…と。

それは、きっと忘れてしまうから。世界が数字で測れる物質的な豊かさに慣れ続けると、平和ボケで忘れてしまう。ヒトは、幸か不幸か、嫌なことを封じ込め、記憶から自在に消すことができる。都合の良いように、記憶を書き換えることもできる。他人事の痛みは簡単に風化してしまう。

 

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日本では、2月13日に国内初の死亡例が発表されたが、政府は季節性インフルエンザと同程度の感染力であるというスタンス。

この時点で、個人的には国の政策の甘さ、判断の遅さに辟易としたものの、それでも国民の不平不満が大爆発しないように、強硬手段に出ることなく、やんわりとコトを運んでいるのだと感じていた。

1億2千万人、国民一人一人の要望を聞くなどは、当然、不可能だ。

このような状況で、政府が3月2日に一斉休校の要請を選択したときには、本当に驚いた。正直、よく踏み切ったなと。だが、ターゲットを子どもだけに絞ったことで、共働き世帯からの不平不満が生じた。が、私はこの政府の決断には、今までにない政策の凄みを感じ、あぁ、国は、ヤバイ展開になることに気づいたんだと思った。

惜しむらくは、このときに思い切って3週間、南京市のように完全封鎖とまでいかなくても、国民一人一人、特に首都圏の危機感をもっとあおることができていたなら…ということである。やるなら徹底的にやらなければ、結果は出ない。効果が薄れてしまう。

どういう政策をとっても、一定数の不満は出るのだから、やるかやらないか、やり過ごすのはやらないのと同じなのだ。できるかできないかなんて聞いてない。現状はとても曖昧で、宙ぶらりん感が否めない。

国と国の往来が容易くなった今、感染症は、遠い異国で起きている事態、余所事に止まるものではないのだ。

ジリジリとジワジワとオーバーシュートの足音が聞こえてくる。医療施設が、施設単位でスプレッターによる感染で閉鎖し続けたなら…現場はあっという間に疲弊してしまう。感染は、現場で起きてるのですから。

3月に入って、新型コロナウイルスの話題を聞かない日はない。それでも、やはり感染症に対する考え方、意識は、本当に千差万別だ。

新型コロナウイルスに罹患して重症化する人は10-15%、うち3%が死亡。死亡者の半数以上が高齢者であるとはいえ、この感染力は、近年の日本の感染症では類をみないものですよ。

季節性のインフルエンザに罹患して、毎年、約3,000人、あるいは交通事故でも、毎年、約3-4,000人程が命を落としていますが、死亡率に換算すると1%に満たないです。対人口比になると数字は変わってきますが。

ダイアモンドプリンセス号が横浜港に停泊した2月3日以降、色々なところで様々な見解を耳にしましたが、死亡者数だけで云々する人のなんと多いことか!経済についても、国の補償云々とすぐに話題になりますが、感染が長期化する影響の方がずっと怖い。

1ヶ月間、雨風凌げる家、水とお米と塩が手に入らない方…、日本にどのくらいいるのでしょう。世帯収入平均約400万円…。ん…?

生きられる命をドブに捨てる?生命となにを秤にかけているのでしょう。

自分は感染しても構わないと思う人が、感染してもいいから行動し続けるという考え方は、短絡的だと思う。知らないうちに、あちらこちらに感染させてしまうことを避けたいのだから。あなたが感染して軽症ですんだとしても、あなたが接触した人が重症化して亡くなる可能性は、大いにある。

法律用語でいう悪意にあたりますよ。悪意ある感染。不慮の事故ではないです。人災です。

胡蝶しのぶさんの言葉を借りると、私、怒っています。ずっと、怒ってる。そして、冨岡義勇さんの名言〈生殺与奪の権を他人に握らせるな!〉と、心底、思います。

産屋敷一族ならぬ、ワニ先生の先見の明にビックリです。鬼滅の刃の人気の理由が分かるような気がします。

 

今回のCOVID-19の対応で、私はWHOに失望した。心底、がっかりした。と同時に、私自身がWHOを健康保健の、絶対的な権威の位置づけに置いておくことに、1ミリの疑いも抱いていなかったことに気づいた。学生時代に、尊い一択を見事に刷り込まれていたのだと、今更ながらに自覚する。わぁ、恥ずかしいー。ホント、キモイワァ…。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

Kohyuzu (こうゆづ☆)