〈バセンジー〉と八月十八日、四十九日とーーー虹の橋の先に在るもの
七月七日、初七日。七夕の節句とともに〈ボン〉は星になった。空を見上げると、そこにはいつも、ボンの【ひょうきんな顔】が浮かんでいる。
常に我が家の中心にいたボン。食べることが大好きで、かじることが大好きで、犬より人に愛想を振りまき、人心をつかむことを心得ている犬。ゴムパッチン遊び、タマコとの場所とりガウガウ合戦、陸橋の柵の隙間に顔を突っ込んで、行き交う車を飽きずに眺めていたね。
とにかく、しつこく粘り強い性質で、欲しいと思ったものは手に入れるまで、あの手この手をつかって、決してあきらめなかった。おかげで、私たちは、いつも根負け。粘着質な性質とお陽さまのような明るさと奇妙な愛嬌が同居して、猫のような犬と形容される〈バセンジー〉らしからぬ、まさに、〈The Dog〉的な従順な性質で楽しませてくれた君。
私たち家族は、君が大好きだよ。タマコは君が行ってしまった後、1週間くらいは絶望して、食べなかった。その後も、3週間くらいは、家に帰るたびにあなたを探していた。1ヶ月後には、諦めと失望を背負った背中が寂し気で、8月に入ってからは、君がタマコの身体を借りてこの世に降臨しているかのように、君の仕草を真似て佇んでいる。
魂は、どこにいても、君と共にあることを、タマコが精一杯、身体を張って教えてくれているよ。だから、本当は、さみしくて仕方ないのだけれど、タマコの側にいる君を笑顔で見守ることにしたんだ。
ボンとともに、帰宅。
骨になったボンは、思いのほか、重い。
その重さが、ズシンと、ストレートに伝わってくる。ことさら、身にこたえる。
骨になったボンを迎えにいくとき、タマコには、『ボンを連れて帰ってくるね…』とだけ、告げた。
『わかった』そう応えて、ジッとこちらをみつめるタマコ。
タマコはヒトの言葉を非常によく理解する。
その繊細さは、明らかに、管理人こうゆづ☆を越えている。
〈ただ今、帰ったよ。〉
待ち構えて待っていたタマコ、興奮している。
『ん?ボンは???』
骨になったボンを床の上において、タマコに差し出す。
『ん?ボンは???』
完全に、期待はずれに終わったと言わんばかりの表情。
『いないの?ボンは???』
〈ここにいるよ。骨になったボンだよ。
ボンの肉体は朽ちても、魂はここにあるんだよ。〉
『分からない、ボンは???』
そう、タマコには、ボンの匂い、ボンのぬくもり、ボンとガウガウ遊ぶ声、駆けまわる足音、
ボンそのものの存在が放つ、生命の鼓動がすべて。
【今ここに在る】骨になったボンは、タマコにとっては、ボンではない…他のなにかなのだ。
まだ、夢のような時間が続いている。
ボンは帰ってきた。
虹の橋を渡ったその日に、ボンは、再びあらわれた。
帰巣本能を頼りに、まっすぐに〈タマコ〉と我々の元に。
家族のもとに、再び、帰ってきたのだ。
これからも、〈麦〉と〈まさむね〉と、1頭と2人で生きていく。
お帰り、ボン。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
7/1(Mon)15:43 ボンことまさむね、病院の手術台の上で永眠
7/2(Tue) 15:00 タマコと相方と…一頭と二人でお見送り・火葬受付
7/4(Thu) 10:00 個別火葬
7/7(Sun) 15:15 初七日
8/18(Sun)10:00 四十九日法要・帰宅
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ありがとう。
Kohyuzu(こうゆづ☆)