こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

妖怪noことほぎ★今日と明日の30文字なるもの【the 34-35th】

ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。先週から近所の紫陽花が、急速に色づき始めました。梅雨入りして雨粒が滴る紫陽花は、なお一層、色鮮やかに映えてとても美しく感じます。紫陽花は、ほとんど香りがしないことで知られていますが、花弁と思っていた部分が、なんと、実をつけない【ガク】である…と知ったときの衝撃といったら、ありませんでした。

枝先に小さくついた〈半球状のポッチン〉が花弁だったとは…。なんて奥ゆかしい花なのでしょう。装飾の方が豪華とは!と、ガクだけに愕然とした記憶があります。

私が子どもの頃は、ガクアジサイをよく見かけましたが、最近は、ホンアジサイを目にする機会が増えたような気がします。紫陽花は、土壌のコンディションに、よって花の色が変わるという、これまたユニークな花。一つの株から、グラデーションのように色が変化していく様子もみられ、長く目を楽しませてくれます。一般に、梅雨はジメジメとして嫌われがちな季節ですが、私は〈雨女〉なので、とても親近感がわいて、むしろ、テンションがあがる季節です。

今日は、【上弦の月】です。新月から満月にむかう過程で、パワフルに物事を推進していくのに適した時期です。あいにく、関東地方は雨で、視認はできませんが、月はあるべき場所に存在しています。体調をととのえて、願望を手にした自分の姿を、鮮明に思い描いて、日々を丁寧に過ごしましょう。

それでは、今日も妖怪がおくる【今日と明日の30文字なるもの】へ、いってみよー!

 

【0610】今日の妖怪365

子育て幽霊:血は水よりも濃い
《はじめの一歩》自分の核心・大事なものを、一意専心に守り抜く姿勢を貫いてみましょう。

 

【0611】明日の妖怪365

牛鬼(ぎゅうき・うしおに):傍若無人
《はじめの一歩》御礼と謝罪の言葉は、相手にすぐに伝えましょう。謙虚であることです。 

 

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今日の妖怪は【子育て幽霊】でした。雨と幽霊。飴屋さんの軒下で雨宿りしていると、案外、出会ってしまいそうなシチュエーションじゃないかしら…と、一瞬、思いました。子育て幽霊は、身重の状態で亡くなった女が、赤子を育てるために、墓場から夜な夜な飴屋に通ったという物語で、全国各地で語り継がれている伝承です。

  1. ある晩のこと、店じまいをした飴屋の戸を叩く音がします。店の主人が扉をあけると、青白い顔をした若い女が一人立っていました。女は、一文銭を差し出して「飴を売ってくださいな」と声をかけ、飴を買って帰ります。すると、次の日も、店じまいした飴屋に同じ女が姿を現して、飴を求めます。その翌日も、その翌々日も、女は決まって夜の飴屋を訪れるのです。
  2. 店じまいした時間に訪れるのを不思議におもった店主は、女に住まいをたずねます。しかし、女は答えず、ただ、一文銭を差し出して、飴を買っていくのです。そうして、七日目の夜、女は再び飴屋を訪れますが、お金がなくなったので、来ていた羽織を脱いで、「これで、飴を売ってくださいな」と願い出ます。女を気の毒に思った店主が飴を渡すと、女は安堵したように、飴を手にして帰っていきました。
  3. 店主は、いよいよ不審に思って、女の後をつけていくと、女は、とある墓地の前で姿を消してしまいました。すると、その墓の下から、〈オギャーオギャ―〉という泣き声が聞こえてくるではありませんか。慌てた店主が、急ぎ掘り起こしてみると、女の遺体に抱かれて、元気に泣いている赤ん坊の姿がありました。
  4. 死後、墓の中で産まれた赤子を育てるために、女は夜な夜な飴屋に通っていたのでした。6日間手にしていた一文銭は、埋葬の際に棺にいれられた、三途の川を渡るための代金〈六文銭〉であったのです。発見後、子どもは菩提寺に引き取られ、のちに、高徳の名僧になったそうな。

死してなお、我が子を想う母の気持ちを描いた物語は、子育て幽霊に限らず、たくさん残されています。我が子だけでも、助かってほしい、現世で生きてほしいと願う、母親の強い思いが幽霊をうみだして、飴を買いに行かせたのですね。母親の無償の愛が、人知を超えて、超自然現象を引き起こし、なんとも不思議な光景を生み出しました。

この言い伝えは、単なる母の愛情を記す逸話ではなく、〈血縁の結びつき、無償の愛、真実一路の思いについて、あなたは、どう感じる?どう考える?どう行動する?〉ということを問いかけています。我が国の家族のあり方は、時代と共に大きく変わってきています。あなた自身が、どのように家族と向き合うのか、親の老い、自分の老いと老後、少子世代の安寧、8050問題は、今、現実に起きていることなのですから。

自分はこうあるべきだ!という発想ではなく、私はこうしたいのだ!という、心の核のようなもの、奮い立つ想いを、家族間で共有して支え合っていく。現実から目を背けないことが、これからますます重要な視点になっていくのではないでしょうか。

私の生まれ故郷、筑前の国『安国寺』にも、【飴買い幽霊】の伝説が残されています。1679年のお話です。この寺の記録によると、生後間もない、赤ん坊は亡くなってしまったといいます。現在も、母の墓石の隣に寄り添うようにして、赤子の小さな墓石が立っているのを見ることができます。執念で産み育てようとした母親の強い想いは、赤子の死をもって、とうとう叶いませんでした。けれど、一緒に弔われて供養されたことで、心安らかに、母子共々に成仏することができたのだと、信じたいです。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)