こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

妖怪noことほぎ★今日と明日の30文字なるもの【the 33-34th】

ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。〈妖怪noことほぎ〉一ヶ月継続中です。ひとえに、皆さまの来訪あってのこと。感謝の気持ちでいっぱいです。妖怪の数は、あまたあれど、カードに描かれた妖怪たちは、なぜにこのチョイス?と、個人的には首をひねるものも含まれています。私の中のイチオシ〈ど真ん中〉の妖怪は、選ばれていなくて、ちょっとガッカリな感じも。

ど真ん中から、少しく外れる人生は、わりと私っぽいのかもしれない…とも思う。

若い頃は、ちょっと変わった不思議な子で許されることも、歳を重ねるに連れ、当然〇〇だの、当たり前に〇〇だの、知識と経験は増えていく一方で、多角的な発想は、むしろ、許容の範囲を超えて、息苦しくなっていく。それが、時々、どうしようもないほどに、もどかしい。それでも、私の根本を理解している親友は、厳しくも温かくも見守り続けてくれている。例え、一人であっても、私のことを最後まで見限らない人がいる!その事実だけで、私は、ビックリするほど満ち足りた気分で生きていけるのだと、思えるようになりました。

妖怪カードは、残すところ5枚になりました。毎日引いて一巡するまでは、とりあえず同じものを引いた時には、引き直すようにしてきました。それでも、3回以上は引き直したことがないので、なかなかの引きの強さです。一巡した後は、どういう形で〈妖怪noことほぎ〉を続けていくか、全くのノープラン。

だけど、勘の鋭い方は《はじめの一歩》の名目で、メッセージをお届けしているので、《次の一手》があるのかしら…なんて、思ってくれているかもしれませんね?どういう形であれ、ご訪問いただける限りは、めったにださないド根性で、更新を続けていきます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

 

それでは、今日も妖怪がおくる【今日と明日の30文字なるもの】へ、いってみよー!

 

【0609】今日の妖怪365

八百比丘尼(やおびくに):行雲流水
《はじめの一歩》やるべきことをコツコツと、やりたいことを大胆に、人生を創造していきましょう。

 

【0610】明日の妖怪365

子育て幽霊:血は水よりも濃い
《はじめの一歩》自分の核心・大事なものを、一意専心に守り抜く姿勢を貫いてみましょう。

 

f:id:hirameki_99:20190609132458j:image

 

今日の妖怪は【八百比丘尼】でした。八百比丘尼の伝説は、若狭の国(現、福井県小浜市)に伝わる〈人魚の肉を食べて不老不死の力を得た〉という物語です。日本全国各地に【不老不死】の妙薬にまつわる伝承は残っていますが、この妙薬こそが【人魚の肉】であるといわれています。

  1. 時代は、650年頃のお話です。若狭のとある村では、村人たちが庄屋の家に集まっていました。そこで、浜で拾ってきたという、人魚の肉がふるまわれたそうです。不老不死の身体を手に入れることができるという、噂を聞いたものの、村人たちには気味が悪くてどうにもおっかない。ありがたく、人魚の肉を食べたことにして、その実、懐にこっそりと忍ばせて、自宅に戻る途中、道端で捨ててしまったのだそうです。
  2. ところが、一人の男は、その肉を自宅まで持って帰りました。その家の娘は、父親が持って帰った肉に興味をもちます。そうして、不老不死の妙薬である人魚の肉であるとは知らずに、食べてしまいます。その結果、娘は10代の美しさそのままに、老いることも死ぬこともできずに、八百年生き続けることになったそうな。 
  3. 娘の若さと美貌は、評判となって、嫁にのぞむ声は多かったと言います。けれど、娘の夫になる人は、確実に娘より先にこの世を去って、娘は1人取り残されてしまいます。また、老いも知らぬ身体では、周囲の人々は不審に思い、恐れをなして、娘を遠ざけて過ごすようになります。
  4. 世をはかなんだ娘は、生まれ故郷を離れ、諸国を巡り、最終的に若狭の国で入定*1したといわれています。

現在の福井県小浜市にある空印寺に、八百比丘尼が入定した【洞窟】が残されています。洞窟に入るときに、八百比丘尼は、【椿の花】を自分の命になぞらえて、〈私の命尽きるときには、椿の花は枯れてしまうでしょう〉と言い残して、入定したそうです。カードに描かれている八百比丘尼は、椿の花と共にいます。今でも、椿の花を洞窟でみることができるとかできないとか。これは一体、どういう訳なのでしょうねぇ。

八百比丘尼は、期せずして【不老不死】の力を手に入れてしまったがために、孤独で寂しい最期をとげます。全国に伝わる物語の結末も、決して幸せな未来ではなかったようです。不老不死の妙薬は、秦の始皇帝の時代から、喉がでるほどに欲しいと追い求められていた壮大なロマン。けれど、手にすることは叶わず、皇帝は死を迎えます。

人の生命には、限りあるからこそ、大切に丁寧に生きることの意味が、輝きを増してくる。世の中の摂理に逆らうことなく、自然に、日々の生活に喜びを見出すことの重要性を、八百比丘尼の物語は、私たちに教えてくれているのです。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)

 

 

 

*1:真言密教の修行の1つ。僧侶や行者が断食ののちに、魂が永久に生き続ける状態に入ることをいう。五穀を絶つ修行をして、土中にはいり、断食をしつつ読経を続けることで、即身仏になる(入滅)といわれている。