こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

妖怪noことほぎ★今日と明日の30文字なるもの【the 29-30th】

ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。本日6月5日は、【世界環境デー】です。我が国でも、6月は環境月間に定められており、環境庁の『環境基本法』を根拠法とし、環境保全に努めるとしています。現在の世界共通の目標は、【プラスチック汚染】をやめることです。スターバックスコーヒーがストローをプラスチック製品から別の素材へ切り替えることを発表したのも、この取り組みの一環です。

毎年、800万トン超のゴミが大海原へと流れており、今のまま、プラスチック製品の垂れ流しを放置しておくと、2050年までに、海は、海洋生物 < プラスチック製品に、なりかねない事態を迎えるそうです。国際社会全体が、一丸となって行っている取り組みについて、まずは国民一人一人が認知して、小さな一歩を踏み出すことが必要だと感じます。わずか、30年後の話です。

地球の温暖化をとめることは、もはや人知の手に及ばないところにあります。いかに、その危機的な状況の規模拡大の【速度】を、緩やかにしていくかに、かかっています。〈便利さ=豊かさ〉ではないこと、点ではなく線の視点で、木だけでなく森の視点で、長期的な未来の豊かさについて、一人一人が考え、実践していく必要があると思うのです。人間主導で、人間本位の生活基盤に執着した結果、生物の多様性は衰退の一路を辿っているといっても、過言ではありません。

日本は長寿国です。これからも緩やかに、平均寿命は延び続ける傾向にあり、2065年には、男性は85歳、女性は91歳という、試算結果を報告しているデータもあります。わずか、40年後の話です。

私にできることは何だろう…と考えた結果、安易に手にしていたペットボトル製品の使用を、まずは控えていくことにしました。意味があるかどうか?わかりません。ただ、自分にできることを、小さくてもよいので、始めていくことを選んだだけです。結果がみえてくる頃には、私の生命は尽きているでしょうから。それだけのことなんです。

またまた、前置きが長くなってしまいました。それでは、今日も妖怪がおくる【今日と明日の30文字なるもの】へ、いってみよー!

 

【0605】今日の妖怪365

浅茅ヶ原の鬼婆:私利私欲
《はじめの一歩》大切な人にこそ、あなたの愛情を出し惜しみせずに、表現してみましょう。

 

【0606】明日の妖怪365

年神:光陰矢のごとし
《はじめの一歩》歳を重ねる喜びを享受して、今いる場所でイキイキと生きる道を探しましょう。

 

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今日の妖怪は【浅茅ヶ原の鬼婆】でした。東京都台東区に伝わる物語です。現存する台東区の花川戸公園内に、下記のような👇〈東京都教育委員会〉が整備した石碑が建立されています。

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この地域は、奥州(現、宮城県山形県福島県の一部)、下総(現、千葉県北部)へとつながる唯一の道が通っていたそうです。けれど、周辺は荒れた地で、旅人が宿泊できるような宿は一つもなかったといいます。そこに、一軒だけ、粗末なあばら家がたっていて、そこに住んでいたのが伝説に出てくる鬼婆と娘であったそうな。

  1. 老婆は、若い娘をつかって、旅人をあばら家に招き入れては、一夜の宿を提供し、夕飯をもてなしたそうです。そうして、旅人が寝静まった頃をみはからって殺害し、身につけていた金品を強奪することを繰り返していました。初めのうちは、ただ不幸が続くだけだと信じていた娘も、老婆の行いに気づき、胸を痛めます。老婆をいさめても、忠告をまったく聞き入れてもらえません。
  2. 殺害が1,000回目に達しようとしたある日、一人の稚児があばら家に宿泊するために訪ねてきます。娘は、さすがに〈稚児〉を殺めるのを、見過ごすことはできなかったのでしょう。事情を説明して逃がし、自分が身代わりとなって、布団に入りました。
  3. いつものように、寝間をおそった老婆。けれど、そこで息絶えていたのは、愛する我が娘でした。老婆は、初めて自分の身勝手な強欲と罪の深さに気づき、後悔します。そうして、老婆は、己の行いを恥じて、今まで殺害した人々を投げ入れていた池に、自らの身を投げて、自害したということです。

〈稚児〉は、一説には、鬼婆と化した老婆に、人の道を説くために現れた浅草寺の〈観音菩薩の化身〉であったと、記されています。他にも、観音菩薩の力で龍の姿になって、娘の亡骸とともに池へと消えていった話、仏門に入って、生涯、死者の魂を弔い続けた話などが残っています。

いき過ぎた欲で〈鬼〉と化してしまう前に、娘の忠告を聞き入れていれば、未来はもっと違ったものになっていたのかもしれません。

十分に娘に愛されていたことに気づかずに、人様のものを奪って生きてきた老婆。娘を失ってはじめて気づく、自らのハートの奥に秘められていた娘への愛情。鬼から人の道へ戻ってきた瞬間でもあります。一番大切なものは、自分のすぐそばにあったのです。

居心地のよい場所にとどまりたいと願うのは、人の本能なのでしょう。今、最高の幸せの瞬間にあったなら、この幸せの中にずっと浸っていたいと思う。この幸せを手放したくないと思う。その瞬間から【執着】は、始まっているのです。小さな執着の積み重ねが、日常になっていくと、もっともっと欲しくなる。

簡単に手に入ることを覚えてしまうと、安きに流れていくのが人の性。【諫言耳に逆らう】うちには、まだ救いようがあります。老婆のように、欲に目がくらんで、なにも聞こえなくなる前に、本当に自分が大切にすべきことに気づいて、人の道に戻るようにと、浅茅ヶ原の鬼婆は、身をもって教えてくれているのです。

浅草寺は、1400年近い歴史をもつ観音霊場であるそうです。度々の大火の難を逃れて、今も浅草観音として、皆に親しまれているのですね。鬼婆の前に現れ、改心に導いたというお話。果たして、ありやなしや…。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)