こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

妖怪noことほぎ★今日と明日の30文字なるもの【the 30-31th】

ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。1日があっという間に過ぎていきます。若い頃は、1日がもっと長かったような気がするのです。自分のことだけを考えて、自由自在に24時間を使っていたからでしょうか。今は、平均5-6時間程度の睡眠で、若い頃は8-10時間くらいは眠っていたのに、体感的には若い頃の方が1日がゆっくりと豊かに過ぎていたような気がするのです。不思議なものですね。

今日は、今まさに、救急車で搬送されようとしている現場に遭遇しました。ストレッチャーに横たわる老婦人を、近くで見守っていたのは、老婦人とは全く面識のない方のように見えました。偶然、倒れた現場に居合わせて、その方の瞬時の判断で、救急車を呼んだのだと思います。JCSで意識レベルの評価を伝えていたので、介助していた方は、看護師さんだったのかもしれません。いずれにしても、人命救助のために、躊躇なく、身体が動いて行動できる人は、素晴らしいと思います。

こういった出来事に出会ったとき、もちろん、搬送される方が無事であってほしいと願う気持ちに偽りはないですが、同時に、見知らぬ人のために動ける人物に対する敬意が高まります。心にポッと温かい火が灯る。そして、身体をめぐる血液の流れ、鼓動を意識して、生きていることの歓びを、生命の力強さをヒシと感じるのです。

日常を、バタバタと過ごしていると、どうしても、生きていること、健康に身体が機能することが当たり前になって、生命に対する畏怖を忘れそうになるんですよね。だから、時折、自分に喝をいれるためにも、人を想う気持ち、その優しさに触れることが私にとっては、とても重要なことなのです。

はい。それでは、今日も妖怪がおくる【今日と明日の30文字なるもの】のメッセージを受け取りに、いってみよー!

 

【0606】今日の妖怪365

年神(歳神):光陰矢のごとし
《はじめの一歩》歳を重ねる喜びを享受して、今いる場所でイキイキと生きる道を探しましょう。

 

【0607】明日の妖怪365

ヒダル神医食同源
《はじめの一歩》食べ物が提供されるまでの過程に思いを馳せて、食のありがたみを噛みしめましょう。

 

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今日の妖怪は【年神(としがみ)】でした。神様とあるので、厳密には妖怪とは異なる気もしますが、まぁ、細かいことはおいておきます。年神は、地域によって呼び名が、〈正月さま、恵方神、トシドン、おとんどさん〉など、少しずつ変わるようですが、毎年、初日の出とともに、各家に訪れる神様であると、いわれています。

古事記』の中では、須佐之男命(スサノオノミコト)と神大市比売(カムオオイチヒメ)の間に生まれたのが、年神である【大年神オオトシノカミ)】であると記されています。あるいは、大年神オオトシノカミ)の子どもである御年神(ミトシノカミ)を、年神としたという説もあるようです。

年神は、元旦に一年分の魂を配るために、各家を訪問し、それを受け取ることによって我々は1つ年を取ることができると、言い伝えられています。

お役目は、〈1年間の守護〉をする神様である、と同時に、1年の豊作をつかさどる〈穀物の守護〉豊穣の神様でもあったようです。いずれにしても、人が年を重ねるためには、年神さまの恩恵なしにはいられない〈ありがた~い神様〉だということですね。

今、現在も、年神をまつる【お正月の風習】として残っているものがあります。〈しめ縄・門松飾り・鏡餅恵方(1年間年神さまが坐すという方角)への初詣〉などは、年神さまを気持ちよくもてなし、お迎えするための行事にあたります。そうして、年神さまが帰っていく時期を、私たちは【松の内】と呼んでいるのです。地域にもよりますが、おおよそ1月7日から15日までの間にあたるようです。

最後に、現在の岩手県遠野市に伝わる物語を、簡単にご紹介します。

  1. 遠野に住む若い男は、年神さまから、1年分の魂を受け取ることに嫌気がさしてきたそうです。〈もう、これ以上、年を取りたくない、若いままでいたい。〉そう願った男は、収穫した大根を貯蔵するための穴である【大根穴】に隠れることを思いつきます。年の瀬も迫った31日の夜、男は大根穴に入り込み、隠れていたそうな。
  2. さて、日付が変わった元旦。年神さまは集落の人々に1年分の魂を配りに、やってきました。新たに家族が誕生した家には、その分をプラスして、葬式があった家には、その分を差し引いて、各家庭に配り歩いたそうです。
  3. そうして、各家への訪問が終わったとき、年神さまの手には、まだ随分と、魂が残されていました。どうしたものかと、辺りを見まわした年神さま。ふと、近くに大きな穴があいていることに気づき、これ幸いと余った年分の魂を、穴に放って帰ってしまったそうな。
  4. 穴にかくれていた若い男は、どうなったか…。皆さま、ご推察のとおり、哀しいかな。家族が穴の中でみつけたのは、白髪の老人となった男の姿でした。男は、一度にいくつもの魂を受け取って、一気に、何十年分も年をとってしまったのです。

この話のように、年神さまから1年分の魂を受け取ることは、どうしても避けられない生きる証しなのです。そうであるならば、〈年神さまの訪問に備えて、心新たに年神さまをお迎えして、1年の重みをしっかりと感じながら、自分の生命と向き合って、正々堂々と生きていくのはいかがでしょうか〉と、私たちに問うています。

早く感じようが、遅く感じようが1年は1年。生きている限りは1日24時間、365日8,760時間は、同じように与えられます。年神さまを欺いて、自分だけが若くあるなどと、抜け駆けすることは、できないのです。

年を重ねるのはありがたいこと、生命あることは喜び、希望なのです。1年分の魂を受け取ったならば…サァ!あなたなら、この1年をどのように使いますか?

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)