こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

妖怪noことほぎ★今日と明日の30文字なるもの【the 19-20th】

ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。まだ、5月ですよね?暑すぎます。皆さま、体調は、お変わりないでしょうか。熱中症で搬送されている方も、多数見受けられるようです。夜の散歩のときにも、マンションの前に1台の救急車が止まっているのを見かけました。今も、救急車のサイレン音が、聞こえてきます。

こまめな水分摂取に、食事、排泄、睡眠。そう、なにより、睡眠不足は、心身に負担がかかり、一気に消耗しますので、お気をつけください。

では、本日も妖怪がおくる【今日と明日の30文字なるもの】のメッセージをお届けします。元気をだして、いってみよー!

 

【0526】今日の妖怪365

沓頬(くつつら):君子危うきに近寄らず
《はじめの一歩》慎み深く行動し、明瞭な言葉を選びましょう。言い掛かりは、相手にしないことです。

 

【0527】明日の妖怪365

岩魚坊主:一寸の虫にも五分の魂
《はじめの一歩》自然生態系のつながりに、感謝しましょう。私たちは、食物連鎖の只中にいます。

  

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本日の妖怪は【沓頬(くつつら)】でした。相手のことを傷つけるつもりはない言葉を、選んだはずなのに、相手を傷つけたり、怒らせたりしてしまった〈苦い思い出〉というものは、生きていれば、1つや2つあると思います。

私は、話し方の特徴として〈説明足らずの短い言葉を、バッサリと相手に放ってしまう傾向が強い〉という、自覚があります。ストレスがたまると、さらにその傾向が強化され、舌鋒鋭く、毒舌・辛辣になります。とかく、極度の【面倒くさがり】なので、言葉を尽くして説明することを、すぐに放棄してしまうのです。特に、理詰めでこられると、その理論に受けて立つのが、ものすごく面倒くさい…と、感じてしまう。「あー、はい、いいからそれで、どうぞ、どうぞ!あなたの思う通りにしてください。」と、心底、どうでもよくなります。

実際に話すのではなく、書く・文字にする場合には、わりと丁寧な物言いも、苦ではなくなるのですが、それは、【文字を書く】という作業は、作家や脚本家でもない限り、相手から急かされることはないわけで、比較的、マイペースを貫くことができる。その状況が、私を【毒舌から解放】するのだと思います。人間という生物は、知恵があるがために、余裕がない状況では、なかなか、どうして人に〈与える〉ことも、自分が〈受け取ること〉も、難しく感じてしまう。そうして、よくわからなくなってしまった結果、突拍子のない行動に走ってしまったりするのでしょう。…というのは、私のことです。ハハハ。

先日、学生時代の友人たちと集まったとき、抜群に記憶力のよい子がいて、心底、驚きました。私は、他者に話した情報は、たいていの場合、アッサリと忘れてしまう、記憶と事象があまり結びつかないタイプ。彼女のような記憶力の持ち主には、頭があがりません。〈変なことばかり、覚えられている〉…ということは、裏返せば、〈変なことしか言ってない〉と、いうことでもあることに気づいて、愕然としました。恐怖でしかない…。

   

沓頬は、沓(靴)と、冠が化けた妖怪で、由来は、中国のことわざから来ています。『李下の冠、瓜田の履』は〈瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず〉という漢詩です。意味は、〈瓜畑を歩いているときに、靴を履きなおそうと、不意に屈み込んだのなら、瓜を盗もうとしているように、見えるかもしれない。同じように、李の木の下で、冠を正そうとしたら、李を盗もうとしているように見えるだろう。〉というものです。

この中国の古典に書かれた漢詩から発想を得て、狩野派の絵師、鳥山石燕は、室町時代に描かれた日本の書物『百鬼夜行絵巻』に出てくる【沓(靴)】の妖怪を、新たに【沓頬】という妖怪(付喪神)として創作したと、いわれています。

中国のことわざは、『人にあらぬ嫌疑をかけられるような、行動は慎んで、常に胸を張って、堂々としていなさい…』という、教訓を伝えています。確かに、疑いをかけた方も、かけられた方も、お互いに罰の悪い思いをしそうです。

妖怪は、御身を現すことで、実に様々なことを、私たち人間に、教えてくれます。愛すべき妖怪!今後とも、ぜひ、【妖怪のことほぎ】から、あなたの感じるままに、メッセージを受け取ってみてください。お付き合いいただけると幸いです。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)