こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

妖怪noことほぎ★今日と明日の30文字なるもの【the 23-24th】

ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。5/29は【世界カワウソの日】です。私は今日だと勘違いしていたので、1日遅れのお話に。近年のカワウソブームで、密輸や飼育の放棄などが、社会問題になっていました。コツメカワウソ、「私も可愛いなー」と思って、手入れや飼育について、調べてみたことがありましたが、やはり、海洋生物と暮らすのは、難しいと思い、あきらめました。〈絶滅危惧種〉に指定されていますしね。

以前、調べたときに、頭に残ったのは、寿命が12年程度ということと、腎臓があまり強くないということ。サイズや食事、病気の部分が、イヌやネコと共通しているので、飼育しやすいと考える人が多そうだな、という印象でした。

生き物である限り、人間の都合で、手放すことは、すなわち【生物の死】を意味します。たとえ、信頼できる友人や知り合いに引き取ってもらったとしても、動物側からすると、どうでしょうか。確かに、食事と水さえ与えることを忘れなければ、生命をつなぐことはできます。野生のイヌやネコは、食べ物をもらえる場所や探せる場所を知っていて、時間になると、その場所に集まってきます。生存本能です。

けれど、一緒に室内で暮らすとなると、単に食べ物を準備して、自分が都合のよいとき、かまってほしいときだけ、気まぐれに可愛がればよいというものではありません。一緒に暮らすうちに、お互いに〈絆や愛着〉のようなものが芽生えてきます。一般に、イヌよりネコの方が、〈自由気ままな性格で、人に懐かない〉などと言われていますが、そのようなことはありません。個体差はあると思いますが、ネコは非常に賢いです。警戒心も強いだけに、イヌ以上に〈親しい人・見知らぬ人を分け隔てる才能に長けている〉と、思う場面に遭遇することも、多々あります。

一度でも、イヌやネコと暮らしたことがある人なら、理解できると思いますが、住み慣れた家、信頼している人物と離れることは、動物にとっても、ストレスなのです。一時期の気の迷いで、生き物と暮らすことを決断してはいけないと、私は思います。生涯、面倒をみる覚悟をもっていたとしても、一緒に暮らすことができなくなる選択が生じることもあるのですから。

人間の都合で、動物たちが、突然、安心できる場所、居心地のよい暮らしを奪われることがないよう、祈るばかりです。

 

少しエキサイトしてしまいました。それでは、今日も妖怪がおくる【今日と明日の30文字なるもの】へ、いってみよー!

 

【0530】今日の妖怪365

不車妖妃(ふぐるまようひ):心の仇は心
《はじめの一歩》言いにくいことも、思い切って伝えてみましょう。真心は、必ず相手に伝わります。

 

【0531】明日の妖怪365

いそがし:貧乏暇なし
《はじめの一歩》あなたの欲しいものは、不要なものを手放すことで入ってきます。解き放ちましょう。

 

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今日の妖怪は【文車妖妃】でした。文車(ふぐるま)とは、宮中で書物や公文書をしまっておくのに使われた箱車のことです。市政の中心地が替わることも多かった時代に、機密文書や公文書をすぐに移動できるように、また、火事や自然災害などの緊急時にすぐに避難できるよう、車のついた書庫に保管していたようです。

文車妖妃は、文車に、重要な書物として長く保管されている間に、その文書にこめられた想いが、妖怪と化したもの、付喪神として知られています。

また、1677年刊行の怪談集『諸国百物語』の中では【手紙】の怪異として、描かれているようです。身分違いの間で交わされた契りや恋文、人知れぬ恋に苦しみ悩んだ情念や執着などが、妖怪と化したと言われています。

結婚が政と直結していた時代には、自分の恋心をひた隠しにしたり、押し殺したりした体験をした人々が、たくさんいたのでしょう。せめて、文書のなかだけでも…という思いで、文をしたため、心の内を吐き出すことで、なんとか、自分の心に折り合いをつけ、自らを奮い立たせようとしていたのかもしれません。

人の心、情念というものが、【モノにとりつく】という考え方は、その表現方法は変わっていても、古から、脈々と受け継がれてきた日本の心象風景であると言えるのかもしれません。【御守り】をもつという慣習も、【モノに願いを託す】その最たるものですものね。

現代は、自由な発言が、ある程度、認められるようになって、風通しがよくなった分、〈秘密の保持〉が難しい時代になったと、いえるかもしれません。ネットワーク上で、勃発している炎上なるものは、人の想いが良くも悪くも、度々、噴火しているようなもの。そういう意味では、もう妖怪の出る幕はないのかもしれない…。

ん、妖怪の仕業…?実は、炎上の仕掛けを、妖怪が巧みに操って、ドッカンドッカンと爆発させては、人々が右往左往するのを、楽しんで眺めているような。案外、そんな風景も浮かんできそうです。炎上商法は、現代の妖怪が仕掛ける、新たな妙技なのかもしれませんね。そう考えると、ちょっと愉快かも。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)