こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

妖怪noことほぎ★今日と明日の30文字なるもの【the 18-19th】

ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。頭をつかって、とても疲れたので、糖分補給を!と、2日分のスイーツを買って、意気揚々と帰宅しました。ところが、気づくと2日分、余すところなく、食べてしまいました。それでも、後悔よりも、喜びの方が勝るのだから、これはこれで、今日の私には、ベストな選択なのだ!きっと。しばしの、幸福に包まれたお話しでした。

はい。では、改めまして、本日も妖怪がおくる【今日と明日の30文字なるもの】のメッセージを受け取りに、いってみよー!

 

【0525】今日の妖怪365

二口女(ふたくちおんな):我田引水
《はじめの一歩》見返りを求めずに、進んで手を貸しましょう。恩義は、相手が決めることです。

 

【0526】明日の妖怪365

沓頬(くつつら):君子危うきに近寄らず
《はじめの一歩》慎み深く行動し、明瞭な言葉を選びましょう。言い掛かりは、相手にしないことです。

 

今日の妖怪は【二口女】でした。1841年刊行の「桃山人夜話」の絵本百物語に描かれており、絵師、竹原春泉の晩年の作として知られています。もともとは、下総の国(現在の千葉県北部・茨城県南西部)に伝わる【人面瘡の怪談】が起源のようです。

私は、この物語を読んだときに、突然〈紫色〉が浮かんできて、少し気になったので、調べてみました。すると、『まんが日本昔ばなし』では【飯食わぬ女房】という題名で紹介されていました。そう、〈紫色〉というのは、物語の中で、男が逃げた先に広がる菖蒲池の〈しょうぶの色〉だったのです。しかも、なぜか、この菖蒲の場面だけ、強烈に印象に残っていて、あとは、うすらぼんやりと思い出せるくらいの儚い記憶。私は、幼少期から〈紫色〉が好きなので、その影響かも…と考えたものの、思いもよらないところから、記憶がよみがえってきて、とても驚きました。

ところで、【人面瘡*1】と聞くと、私は真っ先に、手塚治虫氏の『ブラックジャック』を思い出します。手塚先生の作品は、大好きです。

今、TokyoMXで『どろろ』が再放映されているので、楽しみに見ています。手塚先生の絵は、曲線の柔らかさの中にもスッキリとした味わいがあり、かつ、セリフも端的でスマートなので、医療手術のような一見、グロテスクな場面に遭遇しても、平常心で読み進めることができます。クドくないのがいい!それでいて、リアリティーが鮮烈!故人となっても、今なお、色あせることのない圧倒的な存在感を誇る漫画家だと思います。

 

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さて、やっとのことで、あらすじへ。

  1. 下総の国のお話し。自分の産んだ子ばかりを可愛がって、先妻の子には食べ物も与えず邪険にあつかう女が住んでいた。そうして、先妻の子は衰弱していき、とうとう飢え死にしてしまった。
  2. 四十九日の法要の日、男が薪を割るために、斧を振り上げたところ、ちょうど女が後ろを通りかかり、誤って女の後頭部に切りつけてしまった。後頭部から大量の血がでたが命に別状はなかったそうな。
  3. ところが、いつまで経っても傷が治らない。やがて、傷は、唇のような形をおびてきて、頭蓋骨の一部が歯のような形にみえてきて、盛り上がった傷口は、舌のような形になった。後頭部の傷は、一日中、痛みんだが、その苦痛は、不思議と食べ物をいれると、和らいだという。
  4. こうして、女の後頭部には新たに口のようなものが生まれ、顔の前側と後ろ側に、二口をもつようになったという。ここまできて初めて、女は、自分が先妻の子に食物を与えず死なせてしまったことを、反省したのである。

俗に【ままくはふ(まんまを食べよう)】という難病として、言い伝えられているそうです。昔ばなしの【飯食わぬ女】も、ケチな独身男が、「ご飯を全く食べない。でも、よく働く。」という女性なら娶っていいなどと言い、本当に【ご飯を食べない女】と結婚したが、実はその女は妖怪で、男が働きに出かけると、頭部にある口を使って、米をたらふく食べていたという…お話し。

現実に、生きていくためには、食物を摂取しない人間など存在しない。継母の話も、独身男の話も、理不尽な無理難題を、あたかも、当然のように、相手に要求するという【性根】、情け知らずの【不条理】を問う物語である。

人面瘡(頭脳唇:ふたくち)は、まんまを食べることで、心が満たされ、そのときばかりは苦痛が和らぐ…。胸がしめつけられる、もの悲しい話だと思います。他者への心ない対応が、結果的に、難病という形でかえってきて、想像以上の苦痛・業を背負って生きていくことになったのですから。

私は、この話を読んでいるときに、【咀嚼の大切さ】というのを、改めて意識しました。『腑に落ちる』とか『腹落ちする』という言葉は、物事がスッキリ解決したり、胸のつかえがはずれて気持ちがクリアになったり、そういった気持ちを表現するのに適しています。いずれも、五臓六腑に関係する漢字が使われています。

他にも、『〇〇さんの言葉をかみしめる…』といった表現の場合には、歯を食いしばる、食べ物を咀嚼するといった実際の【動作を表わす】意味ではなく、〈心から味わう、気持ちが揺さぶられて感動する・反省する〉など、【心の大きな動き・心情】のようなものを含む表現として使われます。言葉の成り立ちを考えると、物語の言わんとすることが、よりストレートに伝わってくるような気がして、想像するのが楽しいですね。

ところで、日本政府が掲げた高齢者の【8020運動*2】は、今年で30年を迎えるそうです。今では75歳以上の後期高齢者で、半数の50%以上の方が〈8020〉を達成しているといいます。我が国の長寿・高齢社会のヒントは、ここにも隠されています。口から摂取して、咀嚼するということは、人にとってどれだけ生きることと、密接に結びついているか…ということが、よく分かる一例なのではないかと思います。

食べることは、生きること。その逆もしかり。〈私のものは私のもの、あなたのものも私のもの〉…なんて、本気で言っていると、いつの間に【人面瘡】が現れて、あなたの身体を巣くっているかもしれませんよ。そういえば、頭痛もちの人は、『目上の人に反抗ばかりしているからだ!』と聞いたことを、ふと思い出しました。まさか、人面瘡の仕業?まさか…ねっ。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)

 

 

 

 

 

*1:頭脳唇(ふたくち)と人面瘡は、いずれも、奇病・難病の類いの疾患である。その多くは、始終わがままで、恥知らずで、よこしまな考えを持つような者が罹患するカルマのなせる病といわれていた。

*2:80歳に到達するときに、20本の歯を残そうと呼びかけ、取り組んでいる運動のこと