こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

妖怪noことほぎ★今日と明日の30文字なるもの【the 12-13th】

Kohyuzuです。屋久島の救助、無事に終わったようで、本当によかったです。266名も立ち往生するなんて…。ヤクスギランド周辺は、屋久島の中でも観光地化されて、整備も進んでいる場所だと認識していたので、本当に驚きました。土砂崩れは、自然と隣り合わせで、いつどこで起こるか分からないものなのですね。救助にあたった皆さま、不安な一夜を過ごした皆さま、お疲れ様でした。

私が屋久島】を訪れたときも、縄文杉に近づくにつれ、雨がシトシトと降り始めました。深い緑に抱かれて、守られて、自然の鼓動をまるごと体験するような、不思議な感覚に包まれたのを覚えています。〈まだまだ、この場所に留まりたい!〉と思わせてくれる、とても気のよい【パワフルな森】でした。

次に訪れたときには、〈宮之浦岳に登るぞ!〉と、決めていたのですが、いつの間にか、20年以上経ってしまいました。まだ、あと数年は、体力的になんとかなりそうな気も。たとえ登山は難しくても、木々の美しい風景に、また、会いに行きたいな。

では、本日も、妖怪がおくる【今日と明日の30文字なるもの】に、いってみよー!

 

【0519】今日の妖怪365

青頭巾:自縄自縛
《はじめの一歩》他者の幸せを願いましょう。真実の愛は、エゴをも超越する力を秘めています。

 

【0520】明日の妖怪365

白沢(はくたく):芸は身を助く
《はじめの一歩》人生は、学びと選択の連続です。思いのままに生きて、生きて、生き続けよう。 

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今日の妖怪は【青頭巾】でした。青頭巾の伝承は、江戸時代後期の読本作者・上田秋成氏の『雨月物語』に残されています。検索すると、様々な記事がみられることから、今、なお、多くの方に愛されていることが伝わってきます。【青頭巾】のお話は、私自身も、そして、恐らくは、誰しも思い当たるような心情を、丁寧にすくい取った、人間らしいエピソードであると感じます。あらすじを、以下、簡単に。

 

下野の国(現在の、栃木県)富田の場所を旅していた改庵禅師は、一夜の宿をもとめた家で、有徳の僧侶が、鬼になってしまった話を聞きます。

1年前、僧侶は目に入れても痛くないほどに寵愛していた稚児(年のころ12,3歳の童子)を、病で失ってしまった。稚児を供養することも忘れるほどに、途方にくれて嘆き悲しむ僧侶。稚児の亡骸が朽ちていくのに耐えきれなくなったある日、とうとう、稚児の血肉と骨までしゃぶり、食らい尽くしてしまったというのです。

話を聞き、もてなしのお礼に、鬼と化してしまった僧侶に、〈人としての心を取り戻すよう報いましょう〉と、決心した改庵禅師。寺をたずね、鬼となった僧侶の寺で、一夜を過ごすことにした。僧侶は、改庵禅師の血肉を食らおうと、寺の方々を探すが、とうとう、見つけることができず、禅師が座っている場所の側で眠ってしまう。

目が覚めると、すぐ傍に禅師が座っている。一晩中、そこに禅師が座っていたことを知った僧侶。自分は人の血肉を食らうが、仏様は、まだ、食べたことはない。『あなたこそ、真の仏様です』と、自分の悪行を恥じて、禅師に教えをこいます。

禅師は、自分の持ちものである藍で染めた【青頭巾】を僧侶の頭に被せると、禅の教えを説いた【証道歌*1】を二句授けて、その意味を考えるよう言い残し、禅師は里を離れる。

1年後、再び、寺を訪ねると、僧侶は、1年前に別れたときと同じように、石の上に座って、証道歌を唱えている。禅師が、二句の真意を問い、もっていた杖で僧侶の頭を打つと、一瞬にして、肉体が消え去り、僧侶が座っていた場所には、【青頭巾と骸骨】だけが残っていたという。

 

仏様に仕える身であった僧侶は、自分の過ぎた欲望にとりつかれて、人としての道を外れ、身を滅ぼしてしまった。〈度を越えた執着や愛欲は、人を堕落させ、誰のためにもならない。〉という、教えです。

僧侶は、人としての心を取り戻し、改心した後に、亡くなってしまったのでしょうか。それとも、二句の真意をみつけることができず、無念のままに、逝ってしまったのでしょうか。いずれにしても、鬼と化した人の【なれの果て】というものは、もの悲しさが漂っています。自分自身の心にも、必要のない執着によって、人としての心を失ってしまってはいないか、日々、問うてみることが大切なのかもしれません。

本当に怖いのは、鬼ではなく、人の行き過ぎた【欲】だということ。イイ加減の【欲】に、とどめておくのは、なかなか難しいことです。生きるとは、修行の連続ですな。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)

 

 

 

*1:唐の国、永嘉大師の詩歌「江月照松風吹(こうげつてらし しょうふうふく)」・「永夜清宵何所為(えいやせいしょう なんのしょいぞ)」訳:月明かりのもと、松がサワサワと音をたてて、風に吹かれている。清く澄んだ今宵、この空の下で、さあ、あなたは、何をなすのか?