妖怪noことほぎ★今日と明日の30文字なるもの【the 11-12th】
Kohyuzuです。5月も半ば、皆さま、体調はいかがでしょうか。時間がたつのは、本当に早いですね。1日単位の体感では、むしろ、長く感じるときもあるのに、もっと大きな時間の流れ、1週間、1ヶ月、1年間の単位でくくると、アッという間に、時間が過ぎていくことに、戸惑いさえも感じます。犬たちと過ごしていると、昨日と今日では、状況が著しく変わってしまうこともあり、『ホントに年をとったんだなー』と、しみじみ思います。
ところで、屋久島地方の大雨は、大丈夫なのでしょうか。皆さまのご無事を祈っています。地方の情報は、なかなか伝わってきません。情報は、待っているだけでは、どうにもなりませんね。能動的につかみにいかなければ、得られるはずの情報が、ドンドンすり抜けてしまうような感覚。零れ落ちたものを追うのではなく、つかんだものに、真摯に向き合うくらいの心がけで、ちょうどよいのかもしれません。
さて、今日も妖怪がおくる【今日と明日の30文字なるもの】、お付き合いいただけると嬉しいです。早速、いってみよー!
【0518】今日の妖怪365
雲外鏡:馬脚をあらわす
《はじめの一歩》心が荒ぶるときは、鏡をみて微笑み『私は大丈夫』と唱えてみましょう。
【0519】明日の妖怪365
青頭巾:自縄自縛
《はじめの一歩》他者の幸せを願いましょう。真実の愛は、エゴをも超越する力を秘めています。
今日の妖怪は【雲外鏡】でした。この鏡は、〈人の魔性を映しだす鏡の象徴〉として、描かれています。三種の神器といえば、勾玉・鏡・剣。鏡は、古代より、神秘的なものとして、モノのありのままの姿を明瞭に映し出すものとして、宗教儀式に使用されてきました。〈外見をいくら装っても、本性は必ず露呈する。他人の目を欺き続けることなどできない〉という教訓のようです。
ところで、皆さま、人相術をご存知でしょうか。生命が尽きて、魂が肉体を離れるとき、皆が、幸せそうな笑みを浮かべて、亡くなっていくかというと、必ずしも、そうではありません。最期くらいは【安らかに】と願うのが、人としての本能ではないでしょうか。しかし、現実は、苦痛のすべてを引き受けたような、苦悩の顔貌を残して亡くなる方も、少なくありません。(あくまでも個人的な印象です。他意はありません。)
看取る側としては、すべての方が、人生を悔いなく生き切った、生まれてきてよかったと生の喜びを享受して、最後を迎えられることを、祈らずにはいられません。私は、医療従事者として、患者の最期に向き合うときは、いつも死にゆく心身が、苦しくないように、顔の表情、全身の緊張が少しでも和らぐようにと、願っていました。
自分の死期を悟ったような言動、それが例え、一般的には暴言と思われるような汚い言葉であったとしても、その方の人生の核心にふれる大切な通過儀礼であるのなら、甘んじて受け取ることも、苦痛ではない…そう、思い込むことで、自分を奮い立たせていました。
人は年齢を重ねるごとに、生き様がハッキリと、顔貌に現れてくるのだと、強く思う瞬間があります。一事が万事、人のせいにして生きてきた人、愚痴が多くて人のことばかり気にしている人は、不満や苦しさが、顔貌に色濃く投影されていくのです。
私は、人相術を学んだわけではないのですが、美人とか、格好いいとか、身なりが美しいとか、シワやシミが少ないとか、あるいは、そうでないとか…。こういった目先の印象とは異なるものが、顔貌にあふれ出してくるのです。
あなたの周りにも、この人といると〈いつも気持ちがよくて、自然と笑みがこぼれてくる〉と、思い当たる方はいませんか。見せかけではない美しさ、喜びというものは、必ず存在しています。
若さは永遠ではありません。若さは確かに、武器になるかもしれない。けれども、年齢と共に、美しさの【概念】というものは変わっていくのです。鏡に映しだされたあなたの顔は、あなたの人生そのもの、生き様の【象徴】なのです。
自分の顔に【責任をもつ】生き方を、意識してみませんか。よもや、【雲外鏡】に捕らわれることのないよう、お気をつけくださいませ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
Kohyuzu(こうゆづ☆)