こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

妖怪noことほぎ【今日と明日の30文字なるもの】Day3-4

今日も一日お疲れ様です。Kohyuzuです。夏日でしたね。我が家の犬たちにとっては、とても身体にやさしい一日でした。このくらい暖かいと、犬たちも健やかにくつろげるようです。なんといっても、寒さにものすごく弱い犬種ですから。我が家のリビングの温度は、どんなときでも、24度を下回ることはありません。最近では、体調によって、25度でも寒さを感じるようです。ですから、私は、年中、家の中では、素足とTシャツで過ごしています。完全なる親バカです。

それでは、本日も妖怪がおくる【今日と明日の30文字なるもの】…いってみよー!

 

【0510】今日の妖怪365

狐者異(こわい):仏の顔も三度 
《はじめの一歩》頑なな態度から一度離れて、明るく元気にYESと答えてみましょう。

 

【0511】明日の妖怪365

二恨坊の火(にこんぼうのひ):疑心暗鬼を生ず 
《はじめの一歩》礼節正しいふるまいを心がけ、他者と適度な境界を見定めましょう。

 



 

本日の妖怪は、狐者異(こわい)でした。狐者異には、【怖い】の語源になったエピソードが残されています。 狐者異は、食への執着が強いものが、人のモノを略奪してまで食らったり、ヒトの死体までも食らったりすることで化す妖怪です。死しても、なお、食への執着を捨てられずに、彷徨っている。この行為そのものが、不義理で無分別であり、【妄念・執着心】が行き過ぎるのは、怖いということのようです。

仏教の教えとは、正反対のことを行う狐者異は、【救われぬモノの象徴】として描かれています。出典『絵本百物語』の一節に、《ただ、恐るるは自己の悪念である。この頓着を捨て去らぬ時は、仏といへども、嫌い恐れたまふ》とあります。行き過ぎた妄念や執着、仏様にさえ、見放される原因になるという教訓です。

自分が成すべきことに集中するとき、人は、時に、無分別に自分勝手なふるまいに走りがちな生き物なのかもしれません。それが、自分にとって生命をかけるほど、大事なことであったとしても、自分だけがよければ…という、私利私欲にかられていないか、自らに問うことを、自戒の念を込めて知っておく。それだけでも、未来は違ったものになりそうです。

うーん、私もストレスを感じると、やけ食い暴食気味になるので、気をつけよーっと。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)