こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

記憶に残る、心を揺さぶる、私を鼓舞する!ことば集【中学校編】

Kohyuzuです。今日は、よく道を尋ねられる日でした。犬を連れていると、近隣の住人だと思われるので、致し方ないのですが、街中や旅先でも、聞かれることがあります。大抵の場合、大股早足で歩いているので、呼び止めるのは、勇気がいると思うのですけどねぇ。私は車を運転しませんし、方向音痴です。道案内人としては、本当に役に立たないのです。尋ねられた場所がご近所ならば、現地まで一緒に行った方が早い!とばかりに、歩き始めるタイプ。人様は、私に試練を与えるために、弱点を克服するために、道案内をさせるのだろうか…と、マジメに考えたこともあります。

ですから、初めて行く場所は、事前準備が欠かせません。それでも、迷いますから。「地図アプリがあれば楽勝でしょ!」と思った皆さま、私はその地図アプリに頼りすぎて、痛い目にあっているのですよ。恐怖には打ち勝てません。以降、完全に、アナログへ戻ってしまいました。頼りになるのは【紙とペンと野生の勘】私の三種の神器です。

さて、本題へ。今日は、ワタクシ的『ことば集』の第2弾!【中学校】へタイムスリップです。今回は、わりとブラックです。第二次性徴期・特有の病いアルアルですね。今振り返ると、当時の私は【鈍感力】を大いに発揮していたと思います。

 

Case5 ルカ(中1)

彼女はマイペースで、自分軸がハッキリとした、知的な印象の子。クルクルと動く黒眼は、鋭い鷹の目のように光っていて、狙った獲物は離さない!とばかりに、豪傑で気高い雰囲気も兼ね備えていたように思う。当時の中学生としては珍しい、主張が強い個性的なタイプ。集団に属さない彼女は、ハンターのように話し相手を捕えては、好奇心のままに会話を重ねていたが、彼女の率直すぎる物言いが苦手で、近寄りたくないという空気を放っていたクラスメイトも、少なくなかった。私は、集団行動に違和を感じる子どもだったせいか、はぐれモノ同士、わりと気があったように思う。

学年の途中で引越をしたので、彼女とは半年ほどの付き合いだったが、その間に何度か彼女の自宅に遊びにいった。まず、玄関に入って驚いたのは、異国情緒にあふれる調度品の数々。建物の外観は、四角四面のどこにでもあるような公団住宅なのに、扉を開けた先には、アメリカの風が吹いていた。とはいえ、中学生の私の記憶である。カラフルでポップな世界=アメリカン!という単純な公式が成立していた時代だ。いわゆる、コカ・コーラやビールの瓶、西部劇に出てくるカウンター越しのインテリアといった乏しい世界観でしかない。それでも、私には十分すぎるほどの衝撃的な光景であった。

なんという鮮烈な空間!サーフボードとオーディオセットが、リビングの主役として、センスよく調和していた。ビートルズのレコード盤が、絵画のように壁一面に飾られている。直観的に悟ったのは「あぁー。こういった世界で、幼少期の頃から過ごしたから、彼女のように潔く、ユニークな個性が育まれたんだな。」であった。

シミひとつない真っ白なテーブルクロス。カップとソーサーが一組ずつゆったりとした間隔で、ディスプレイされている食器棚、大きな籠に堂々とおさまったリンゴ、柿、マスカット、レモン。無造作におかれた色とりどりの海外のお菓子。今なら、カルディやビレッジヴァンガードで手軽に買えそうなパッケージのお菓子も、当時のスーパーでは、到底、見かけることはなかった。ここは、日本?と、何度も確かめたくなる。台湾の茶器のようなセットはあったが、いわゆる日本の食卓の象徴であるような、急須と湯のみは、なかったように思う。このようなインテリアに囲まれて育った彼女が、不意にブッ込んできた言葉は…。

 

【こうゆづさー、(眉間に指をあてて)ここに、自然律はやしてない?ねぇー、私もさ、はやしてんだけど、ほっといたら、つながるよね。はいっ、磁石。】

そう、言い放った。そう、眉間がつながりそうなほどに、眉毛が濃い私と自分のことを、【自然律】と表現したのだ。私は、最初、ポカーンとして、彼女がなんと言ったのか分からなかった。だが、ジェスチャーで言わんとすることは、理解した。

そうして、いつまでも、あんぐりしている私にむかって、さらにこう続けた。

【あとさ、指、2本くらい入るね。眉と目の間。ふふっ。ここの幅が広いとさ、日本人って感じするよね。ケロケロけろっぴ。イエーイ!】

彼女の眉と目の間は「指1本分、いや、1.5本分だなぁ。」と、即座に思った私。そもそも『ケロケロけろっぴって、どういうセンスなんだ?カエルに眉って、あったっけ。訳わからん。』

とにもかくにも、このような言葉を放ってきたことに、私は戦慄した。コンプレックスであった眉の濃さがぶっ飛んで、なによりも、彼女の着眼点と独特で鋭い表現力に、圧倒された。それはもう、初めて彼女の自宅に行ったとき以上に、確実に、私をえぐった。クリーンヒット。鮮やかに決まった。不思議なことに、この出来事があって以降、私はコンプレックスをみごとに克服した。自らネタとして披露できるまでに、成長していったのだ。なぜだか、わからないけど、たぶん、面食らいすぎて「ワタシの悩みなんて、ちっぽけなもんだぜ。」と、悟ったんだろうな。

一方、自宅に戻った私は、この彼女とのやり取りを、すでに帰宅していた父親に、一気にまくし立てるように、ペラペラと喋った。話している間、父は、怒ったり、悲しんだり、情けない顔をしたりで、なんとも忙しかった。このときの父の表情を思い出すたびに、クスッと笑いたくなってしまうのである。

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Case6 ユリ(中2)

彼女は、第一印象から、ちょっと変わっていた。中学生のわりには、仕草や言葉選びが、子どもッぽい。無邪気でいつもご機嫌な子という感じだ。クラスメイトでもあり、部活も一緒だった彼女は、最初から、私を慕ってくれていたように思う。よく話をした。彼女は、ジャニーズが大好きで、いつも部活の前に、振りつけをマネて歌っていた。教室で鼻歌が聞こえてくれば、彼女のものだとすぐに分かったし、体育館では、オンステージといった大音量の、のびやかなソプラノボイスが響き渡っていた。

部活のとき、私は青色のトレーナーを好んで着ていた。そのトレーナーの絵柄(キャラクター)が「私に、すごく似ている」といって、彼女は1人、爆笑していた。他に同意してくれる人がいなくても、彼女はいつも愉快に笑っていた。そうして、自分だけの楽しみを見つけ出す才能は、ピカイチだった彼女。何気ない日常をネタにしては、ふざけて笑う姿が、今なお、鮮明にやきついている。

ある日、ちょっとした事件が起きた。私の名前は、『こうゆづ』。つまり、「ウ」と「コ」が含まれている。「うんこ」に興味津々の小学生が、連呼するのは分かる。けれど、彼女は中学2年生である。私のことを1人「うんこ・うんこ」と飽きることなく、呼んでは、笑うようになった。部活仲間も最初は、笑っていたが、そのうち、ドン引きするようになって、怒り出す子も出てきた。

そして、衝撃は不意にやってきた。その怒りの矛先が、彼女ではなく、私の方に向けられたのだ。【「こうゆづ、なんでいつまでも、言われっぱなしでいるのさ。ユリの言葉、やめさせなよ。」】と、お叱りを受けた。

私は、別に「うんこ」だろうが、なんだろうが、全く気にとめていなかったし、正直、どうでもよかった。私のことを、彼女だけがそう呼ぶのだし、彼女がおもしろいと感じているなら、気が済むまで笑っていればイイとさえ、思っていた。でも、現実には、当事者の私ではなく、そのやり取りを聞いている周りの方が、むしろ、不快に感じるという、思いもよらない現象が起きていた。

この1件は、中学2年生のワタシの視点、モノの捉え方、発想を根底から揺るがす、大きな転換期になったように思う。

【《当事者の自分がよければ、構わない》という認識だけでは、越えられない現実というものが、よりシビアに、複数、存在する。】

この何気ない学校での出来事は、今の私の在り方に、少なからず影響している。それなのに、彼女の「うんこ」ブームが、どのように終わっていったのか、全く思い出せない。恐らく、他に楽しいことを発見して、興味を失ったのだろう。彼女は、高校卒業後、あっさりと結婚して、子どもを産み、あっという間に5人の母親になった。子どもっぽかった彼女の面影は、すでにない。けれども、明るさはそのままに、タフに子どもを育てあげ、今では、ひ孫の世話をする、パワフルな大祖母である。

<Case6>について…正確には、誰かに言われた【特定のことば】ではないが、明らかに私の心を揺さぶり、転機のヒントになった大事なことばである。さらに、もうひとつのケースを、『ことば集』に加えるつもりでいたが、思いのほか、長くなってしまったので、今は2つに留めておく。

 

最後に…ことば・表現の自由

中学校編は、小学校編ほど、大人びた精神論は話さない。しかし、よりストレートで、個性的なことばであると思う。誰かが発した「ことば」が、私の心に届いた場面において、考えたこと、感じたこと、創造したことが、【現在の私】の行動の源を支え、自分という人間を育む一助になっていると感じている。やはり、環境は人を育てるのだ。

とどのつまり、法的には親の保護下にある子どもの人生において、「ことば」は、もはや親の目には届かないところで、大いに、子どもの成長を支えているのである。現在、「ことば」は、聴覚以上に、視覚を優位に刺激する方法(ネット上)で、うんざりするほどに、あふれている。なにか事件が起こるたび、親のせい、学校のせい、地域のせい、国家のせい…原因は?理由は?etc…いつまでたっても、堂々巡りである。

私が体験した2つのケースは、人によっては、イジメと捉えるかもしれない。ハラスメントが社会現象となった今、感じ方には【個人差がある】ことを、改めて意識する。他者との関わりで、自分と相手の【親密度・信頼感・距離感(許容の範囲)】をはき違えると、大問題に発展する世の中だ。きわめて個人的な問題が、いとも容易くクローズアップされる流れは、今後も加速していくのだろう。

「ことば」は、諸刃の剣である。影響力のある人が発する「ことば・表現」は、なおさらだ。とはいえ、私は「ことば」に、アート的な表現としての【余地】を残すことを、大切にしたい。「ことば・表現」の自由に含まれる余白にこそ、【自在に発信する美しさ】があるのだ、と信じているから。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)