こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

【感想】日本朗読文化協会主催の〈第9回朗読コンクール本選〉を拝聴して

ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。台風19号の影響で延期になっていた朗読コンクールの本選(決勝大会)。大好きな仲間たちが出場するということで、応援に行ってまいりました。結果は、受賞おめでとうございます!

入場料1,500円という金額以上の充実感。大変豊かな時間を過ごすことが出来ました。直前まで、相方にもスケジュールを調整してもらい、駆けつけた本選。本当に素晴らしかったです。

なんというか、そこには明確な意志、価値観を伴った1人1人の物語がありました。いや、朗読って本を読むだけでしょう?なんて、そんな野暮なことをいっちゃいけませんぜ。朗読は、本さえあれば、身一つで始めることができるし、自由に読むことができるもの。でも、だからこそ、朗読という表現に、その人自身の信条、生き方、在り方のようなものが、如実に溢れ出てくるのです。

私は、審査員の先生方の講評を拝聴したとき、そのお言葉の重みと、熱意と、そして謙虚な眼差しに、感動のあまり不覚にも、涙ではなく鼻水を垂らしてしまいました。胸にグッときた。たかが言葉、されど言葉。日本語という言葉に、人生のほとんど、何十年も真摯に向き合ってこられた先生が、決勝に進んだ16名すべての方に特別賞を贈りたいとおっしゃった言葉が印象的で、本大会の熱気が、この言葉に集約されているように感じました。 

とにかく、あまりにも多くの感情が去来したので、その複雑すぎる感情を語彙にするのは、とても追いつかないのだけれど、読み手1人1人の届けたい朗読が、ドスンと伝わってきたということだけは確か。知らない物語に、いつのまにか引き込まれていく心地よさ。物語の創作者(原作者)、朗読者、審査員、観客が一体となり会場の雰囲気をつくる贅沢な時間。朗読が大好きな方々と共にある空間は、温かいハートに包まれておりました。


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個人的に印象に残った朗読をいくつか。順に感想を書こうと思ったのだけど、うっかりプログラムをどこかに置き忘れてきたようで、トイレかなー、会場かなー、はたまた移動中?んー、記憶にない。書類が手元にないもので、私のうろ覚えの記憶で記しておく。

 

学生の部

  • 夏目漱石太宰治。確か、この作者の作品を読まれたお二方が受賞されました。私は、どちらの読みもとても好きでした。素直で丁寧に調えられた読み。どういう風に読み手が原作者の想いをくみ取ったのか、その意図がストレートに伝わってくる清々しい朗読であると感じました。
  • 個人的には、宮沢賢治を読まれた方の朗読が印象に残っています。第一声は、緊張のためか、本来の声があまり出ていないような感じたのですが、物語が進むほどに、その情景が浮かんでくるような不思議な気持ちに包まれました。瑞々しい透明感が心地よい朗読でした。
  • 特別賞を受賞した沖縄からやってきたという学生の方の朗読もよかったです。地声をベースにしたよく通る凛とした声、相手に分かりやすく届けようとする朗読に、感銘を受けました。伸びしろがあるというか、なにか聞き手に期待感を抱かせてくれるような、大らかで明るい読みが好印象。
  • 学生の部で選ばれていた題材では、中原中也の作品をぜひ、読んでみたいと思いました。手にしたことも、聞いたこともない本だったので、すぐにAmazonでポチっと購入してみました。

 

一般の部

こちらは、私がとやかく感想を述べるのも、おこがましいですが、あくまで感じたことを備忘録的に記しておきます。宮沢賢治芥川龍之介の作品を読まれたお二方が受賞されました。

  • トップバッターの宮沢賢治の世界観の表現に、いやー、ド肝を抜かれました。読み手の中にしっかりと確立された世界観があって、宮沢賢治の生まれ育った故郷の地に、等身大の自分が引き込まれていくような、透明感のある、だけど、しっかりと芯の通った説得力のある、唯一無二の朗読であったと思います。講評にあった【好き嫌いを超越した、乗り越えた先にみえる、味のある素晴らしい朗読】とは、まさにこういう読みをいうのではないかと感じました。
  • 2番手の芥川龍之介を読まれた方の朗読は、特に、登場人物の心情をくみとる描写と地の文のメリハリがとてもよく効いていて、物語の中にドンドン引き込まれていきました。16作品中、もっとも、前のめりになって聞いていた自分がいて、朗読が終わった後も、しばし、余韻を噛みしめてしまうような、個性が光る味わい深い朗読でした。
  • 講評にもありましたが、男性の方々の美声、素晴らしかったです。声には、よい声も悪い声もないというお話もありましたが、やっぱり素敵な声ってありますよ。どのような声を美声だと感じるかは、もちろん人それぞれでしょうが、人間の耳が心地よく感じる音は、α、β波の揺らぎを含む音域であることが、ある程度、科学的にも証明されていますしね。楽器なら、トランペットよりチューバ、バイオリンよりチェロ、マンドリンよりマンドラの音色が好きな私。低音でよく響く声、やっぱり好きだ!うらやましいぞ。

一般の部の決勝に進まれた方は、長年、朗読に向き合い、あるいは、演じるという喜びを体現しようと、どの方も寸暇を惜しんで、朗読と共にあることを大切にされているように感じました。まさに、食事や睡眠を摂取するように、朗読そのものが日常生活の一部になっているような印象です。だからこそ、その熱い想いが、朗読の味わいとなり、一語一節が意味のあるイキイキとした音声になって、心地よく耳に届いてくるのだと思います。どの方の朗読も、甲乙つけがたし…というのが、正直なところ。

 

おまけ:ワタシノコト

いやー、コンクール面白かったです。興奮さめやらぬ私の報告を、相方が冷ややかな目で〈ところであなたは?人のことより、自分のことでしょっ!〉と、言うのです。そこで、ハタと気づいた。私には、私もコンテストに出て、決勝に行くぞ!とか、なんとしてもこれを読みたいとか、表現してみたいとか、〇〇さんのような読み手になりたいとか、具体的なプランが全くない。ないじゃーん。

そういえば、歌うのは決して嫌いじゃないけれど、カラオケに行ったら、上手い人の曲を聴いていた方が、音痴な自分の声を聞いているより、ずっと楽しいし、リラックスできるなーと。今の私は、朗読の位置づけが、大してカラオケと変わらないのではなかろうか。そうに違いない。

朗読をさっぱり分かっていない、残念すぎる自分の立ち位置に気づいただけでも、まだよしとするか。未知、未開の地の開拓を、今後どのように進めていくのか…当面の課題です。今日のトートタロット2枚引きは、愚者とワンドのプリンセス。まさに、チャランポランの成り行き任せとは、このことか!恐るべし。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)