こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

妖怪noことほぎ★今日と明日の30文字なるもの【the 25-26th】

ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。6月に入りました。水無月(水の月)、衣替えの季節でもあります。水の月の由来は、色々あるようですが、旧暦では田植えがはじまる時期で、すべての水を田んぼに使用するため…という説が、私は好きです。農耕民族である日本人は、稲作の文化とは切っても切れない、長い歴史がありますから。

実家の近くでは、5月のゴールデンウィーク中に田んぼへ水を引く作業を行っていました。私は、どうやって水を引いているのか、知らなかったのですが、水路があるのはそういう訳だったのか!と。きちんとした仕組みが田んぼのすぐ傍に備えてあって、水が土に浸透していく様がなんだかすごく趣きのある景色に見えてきて、田植え作業をしている人の姿を、しばらく眺めていました。

人の知恵というのは、際限がないのだと、感心してしまいます。人工知能が人を超える時代も、そう遠くはないと言われていますが、AIにとって代わる部分と、変えることが出来ない部分というのを、割り切る社会になっていくような気がします。

知らなければ、ただ、素通りしてしまうだけの風景も、ちょっとした知識が加わることで、うんと楽しくなる。それが豊かさにつながっていく。自分が背伸びしすぎない範囲で、知らないことを知ることは、リラックスにつながる愉快な作業だなと、そんなことを考えた休日でした。

それでは、今日も妖怪がおくる【今日と明日の30文字なるもの】へ、いってみよー!

 

【0601】今日の妖怪365

玉藻前(たまものまえ):燃犀之明
《はじめの一歩》外見や巧みな言葉に惑わされて、本質を見失わないように気をつけましょう。

 

【0602】明日の妖怪365

通り悪魔:虚心坦懐
《はじめの一歩》努めて、平常心でいること。自分がニュートラルでいられる場所を探ってみましょう。

 

f:id:hirameki_99:20190601162044j:image

 

今日の妖怪は【玉藻前】でした。この妖怪の正体は、美しく、妖艶な【九尾の狐】。またの名を【妖狐】の名で知られる、狐の化身です。たとえば〈猫又〉ネコの妖怪もそうですが、長い年月を生きると、なぜ妖怪は、シッポが増えていくのでしょうね。

人間の尻尾は、二足歩行に進化する過程で退化してしまいましたが、本来、動物は尻尾でバランスをとっていると言われています。ということは、長年生きている間に、老化で?バランスがとりづらくなっていくので、シッポを増やして、巧みに歩行できるようにしているのでしょうか。ご存知の方がいらしたら、ぜひ、教えていただきたいです。

さて、玉藻前については、検索すると、その物語の由来が、日本のものから中国のものまで、いくつか出てきます。ここでは、最もメジャーなものを紹介するにとどめます。

妖狐は、そもそも、陰の気がこもった混沌とした状態から生まれた不死身の妖怪で、その姿は、全身が黄金色に覆われて、尾っぽが九つに割けていたといわれています。本来、古代中国では、妖狐は神の使い〈瑞獣〉として、敬われていたようです。

ところが、物語として語り継がれていくうちに、狐の化身は、〈美貌をほこる絶世の美女であったことから、国王をたちまち虜にして、贅沢の限り、残虐の限りを尽くした悪名高き妖怪〉として、知られるようになりました。

日本では、この九尾の狐は【玉藻前】という名で伝わり、もともとは藻女(みずくめ)という名をもつ美しく聡明な女性だったようです。平安時代、京の都で鳥羽上皇が、女官として藻女を召しつけ、のちに、皇后までのぼりつめます。時を同じくして、鳥羽上皇は病に伏せるようになりました。高名な医師にみせても、病状は回復せず、悪化の一途をたどるばかり。程なくして、陰陽師の阿倍康成が、上皇の病の原因が、玉藻前にあることを気づき、妖狐の正体を暴きます。

もとの九尾の狐の姿となった玉藻前は、宮中を追われて、空を飛ぶように逃げ、茨城県(現在の那須地方)に辿り着きますが、那須野が原で討伐されてしまいます。しかし、息絶えた後も、毒気をはらんだ巨大な石〈殺生石(せっしょうせき)〉と化して、石の上空を飛ぶ鳥や近くの人や動物たちの命を奪い続けたといいます。毒の正体は、硫化水素のようです。

殺生石は、栃木県の那須湯本温泉に、今でも史跡『奥の細道・名勝地』として残されています。しかも、妖狐は、ゆるキャラ「きゅーびー」となって、お出迎えしてくれるようです。なんだか、伝説とのギャップが…シュールすぎますわ。

 

個人的には、妖狐といえば、冨樫義博氏の「幽遊白書」に出てくる蔵馬を思い出します。彼が妖怪になった姿は、伝説の妖狐!薔薇の花がよく似合う紳士な蔵馬が、突如、クールでニヒルな笑みを浮かべる妖狐に。ギャップ萌えで、キュンキュンしてしまいます。若い世代の方々は、藤崎竜さんの「封神演義」を思い浮かべるでしょうか。

そういえば、尾田栄一郎氏の「ワンピース」にも、出てきますね。イヌイヌの実の能力者なのになぜか、実体は妖狐。黒ひげ海賊団のデボン?でしたっけ。正確な名前が思いだせないのですが、そんなネーミングの海賊がいたような、いなかったような。記憶違いでしたら、すみません。イヌイヌの実というのは、たぶん合ってるはず。

人は、本質的に、審美眼のようなものが備わっているので、美しいものや、キレイなものに心が奪われる性質があるのだと思います。だから、いつの時代でも、女性はやさしい美男子が好きだし、男性は可憐な美人や美魔女に心惹かれますよね。

私は、面食いではないので、もちろんすべての人に、当てはめることができませんが、そんな私も、キラキラと輝くダイアモンドや色彩豊かな花束、色とりどりの市場の風景などには、気持ちがグッと、ひきつけられます。

ですから、妖狐の美しさにうっとりしてしまう気持ちも、容易に想像できます。だからこそ、本物とまがい物を見分ける術を、身につけることが大切なのですよね。世の中で、痛い目をみながら、学び続けること。処世術は、一朝一夕に磨けるものではありませんもの。タダより高いものはなし。よくよく見極めることの教訓です。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)