こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

妖怪noことほぎ★今日と明日の30文字なるもの【the 21-22th】

ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。最近のマスコミの主流なのか、なにか事件が起きると、その道のプロという方のコメントが放送されますね。ニュースの中のわずかな時間を使って、専門家に当たり障りのないコメントを求める意図は、どこにあるのでしょうね。言質をとるとか、体裁を整えるとか、そういう扱いでしょうか。

耳で音を拾っていただけなので、どなたがおっしゃったのかは、わかりませんでしたが、『犯行は、精神の病を患っているか、薬物を乱用しているか…到底、普通の人がやったとは思えない事件ですね…』という、コメントをされている方がいました。この場合の〈普通の人〉というのは、いったい、どういった意味を含んでいるのでしょうか。

報道は、人が制作しているものなので、偏りがあるのは、しかるべきだと思っています。最近では、各局の報道の姿勢に、もはやなんの期待も、真実も求めていない私。けれど、今日、耳にしたコメンテーターの発言に、激しく反応して、憤りを感じている自分がいることに気づきました。

なぜか。まず一つには、個人的な意見、推測で、全国放送のニュースで、容疑者の人格を決めつけたこと、二つには、精神疾患・薬物の使用は、特別な人だけが当事者になるという、ニュアンスを含んだ言葉を選んだこと、三つには、普通の人という、あえて言わなくてもよい情報を加えたこと。恐らく、この三点が、ひっかかって、反射的に怒りを感じたのだと思います。

こういったコメントが出てくるということは、よもや、自分の人生において、〈精神疾患や薬物乱用とは無縁〉であると考えている。そうして、自分は〈普通〉だから、こういった犯罪に手を染めることはないと思っている。つまりは、他人事です。ここが、私の【怒りの核心】にあたる部分なのだと思います。

容疑者に、必要以上に寄り添う必要はないと思いますが、せめて、【プロとしての仕事】をするのであれば、ニュートラルであってほしいと私は思います。そして、自分の個人的な感情に触れるのであれば、当事者や視聴者の感情・感想を受けてのコメントとして、発信してほしいと。そうであれば、ある程度、理解はできます。

なんだか、久々に、ビックリするほど、怒りがわいてきたので、あえて、足跡として残すことにしました。様々な考え方、意見があると思いますが、少なくとも、今現在の、私が感じている、物事の捉え方を、記しておきます。(誰かに知ってほしいというより、自分が記憶しておきたいため。)なにに、怒りを感じるのか?その人となりを知る上で、重要なところだと思うのです。

さて、気を取り直して、本日も妖怪がおくる【今日と明日の30文字なるもの】へ、メッセージを受け取りに、いってみよー!

 

【0528】今日の妖怪365

浪小僧:情けは人の為ならず
《はじめの一歩》支えてもらったら御礼を言いましょう。そして今後は、あなたが他の誰かを支えましょう。

 

【0529】明日の妖怪365

キジムナー:自業自得
《はじめの一歩》身体を動かしたり、興味のあることに挑戦したりして、エネルギーを活性化しましょう。

 

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今日の妖怪は【浪小僧】でした。遠州曳馬野(現在の静岡県浜松市)に伝わるお話です。浪小僧は、海にすむ精霊で、その父親は〈雨ごいの名手〉だったようです。

  1. 日照りが続いて、海に戻れなくなった親指ほどに小さい浪小僧。通りかかった少年に、「海に連れて行ってほしい」と頼み、善良な少年は、浪小僧を海まで運びました。
  2. この不思議な出来事のあとも、日照りは続き、干ばつで、農作物は枯れ果ててしまいました。途方にくれ、ぼんやりと海辺に立っていたところ、少年は、浪小僧と再会します。そこで浪小僧は、少年に助けてもらったお礼に、雨を降らせることを約束します。
  3. 〈雨の降るときには、東南。雨があがるときには、南西の浪を鳴らしてお知らせする〉と、少年に告げて、浪小僧は姿を消します。約束は果たされ、農作物は日照りの危機から救われたといいます。こうして、雨が降るとき、やむときに、この地方では浪の音で、気象の予知ができるようになったそうな。

浪小僧に限らず、日照りで雨が降らずに困ったという伝承は、様々な地方で聞くことができます。浪小僧のように、海や気象の精霊があらわれて、助けてもらったという伝説も、それぞれの地域にまつわる物語が残っていそうですね。

私は、【日照り】と聞くと、尾田栄一郎氏の漫画『ONE PIECE』のクロコダイルの話を思い出します。今でも、脅威的な力をもつロギア系のクロコダイルに、パラミシア系のルフィ(しかも、初期の頃の話)が勝利するなんて、信じられない気がします。これも、人知を超える力が、味方した結果なのでしょう。

妖怪というのは、その【土地】に伝わる奇異な現象、到底、【人知】では太刀打ちできないような現象、よく分からないという不気味さ、不安、恐れのような【感情】が生み出した現象などを、カタチにしたものだという、考え方があります。

妖怪とは違いますが、個人的には、似たようなものとして感じてしまうのが、女性の〈生理〉の扱いです。生理が長らく【不浄のもの・穢れ】として扱われ、お産も隔離された場所で行われていた歴史も、やはり、〈血を流す〉という現象が、人々にとって、よく分からないモノとして、人々の恐怖をあおった結果なのでしょうね。古代から、学問としての関心を寄せられていた精子に比べて、卵子の解明がかなり遅れたのも、こういった背景があるのだと思います。

浪小僧のお話は、日本人がいかにも好みそうな【恩返し】系ですね。自然災害に対しては、神のごとく魔物に対して、人柱をたてて、祈りを捧げるようなお話も、多々ある中で、今日の妖怪は、【ちょっとイイ話】の部類に入る物語です。こういう良心的な伝承は、人々の心の慰みになったことでしょう。

信じる者が救われる世の中は、住み心地がよさそうですが、同時に、様々な境目が曖昧になって、混沌とした世の中になってしまいそうな気もします。世の中は、どちらがよいとかわるいとか、そう単純に割り切れる世界ではないということでしょうね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

Kohyuzu(こうゆづ☆)