妖怪noことほぎ★今日と明日の30文字なるもの【the 16-17th】
ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。早速ですが、妖怪がおくる【今日と明日の30文字なるもの】へ、行ってみよー!
【0523】今日の妖怪365
清姫(きよひめ):軽諾は必ず信寡し
《はじめの一歩》意思表示は、ハッキリ行いましょう。今は、言葉の伝え方を学ぶときです。
【0524】明日の妖怪365
囲碁の精:一念天に通ず
《はじめの一歩》一意専心に好きなことを継続しましょう。チャンスは、ふいに、やってきます。
今日の妖怪は【清姫】でした。清姫伝説…いまやゲームのキャラクターになっていて、人気なんですね。全く知りませんでした。私にとっては、清姫といえば、【まんが日本昔ばなし】の『安珍・清姫』です。
今は亡き、常田富士男さんと市原悦子さん。お二方とも、一度、聞いただけでも、声が脳裏にバチッと、インプットされてしまうような、特徴的な声の持ち主です。昔ばなしを聞いていても、お二方の顔が、自然と浮かんできてしまう。それなのに、読みは、スーッと耳に入ってきて、いつの間にか、物語の世界に、グッと引き込まれてしまうのです。その引力たるや、底がしれません。
安珍清姫の物語は、紀州の国、和歌山県中部地方(現在の日高郡日高川町)に現存している〈道成寺〉ゆかりの伝説です。今では、現代風に物語がアレンジされていて、様々な切り口から、語り継がれているようですね。以下、あらすじを簡単に記載しておきます。
- 僧の修行の身である安珍は、年配の僧侶と一緒に、奥州白河(現在の福島県白河市)から、〈熊野詣で〉に訪れます。旅の途中、美しい清姫と出会い、「修行が終わったら、あなたを娶るために、またこの地を訪れます。待っていてください。」と、【軽はずみな口約束】をして、安珍は熊野へ向かいます。
- しかし結局、修行の身で、妻を娶ることは許されず、清姫との約束を果たすことなく、安珍は、わざと別の道を通って、帰路につこうとします。それを知った清姫は、だまされたことに気づき、悲しみにくれて、命を落としてしまいます。
- 程なくして、大蛇に生まれ変わった清姫は、安珍を猛然と追いかけて、恨みを果たそうとします。恐れをなして、逃げる安珍は、〈道成寺〉に助けをもとめて、〈釣鐘〉に匿ってもらいます。しかし、大蛇となった清姫は、〈釣鐘〉を7巻半周して締め付け、自ら吐き出した【恋慕の炎】により、釣鐘ごと焼き尽くしてしまいます。こうして、二人は絶望の劫火の中で焼かれ、跡形も残らなかったそうです。
- 年配の僧侶は、安珍の死を悼みます。そうして、二人が今世に遺恨を残さず、旅立っていけるよう、【法華の書】を写経し、供養の儀式をおこないます。果たして、二人は笑みを浮かべて【極楽浄土】に生まれ変わり、昇天していったそうな。
私は、ハッピーエンドが好きなので、上記、4番の結末がある物語を選んでみました。
さて、この伝説。実際のところは、どうなのか不明ですが、〈女人の恨み辛み、その執念たるもの凄まじく、女人にうかつに手をださぬよう…〉と、締めくくられている物語も、散見します。個人的には、「えっ?この伝説の本質は、清姫が悪者なの?」と、腑に落ちない感じが残ります。
安珍清姫伝説の教訓は、〈叶う見込みのない口約束を、その場しのぎで利用することの不義理〉にあるのだと、思います。
たとえ、清姫が執拗に脅迫めいた勢い(ストーカーのようなもの)で、安珍に対して求婚を迫ったとしても、安珍は毅然として、清姫を受け入れられない理由を説明する誠意が、重要であったのです。んー、それも難しいでしょうか。清姫は思い込みが激しい女性という印象もあるので。ここでは、いったん脇に置いておきます。
私は、この話で、自身の苦い経験を、思い出しました。時は、20代の前半。仕事でお世話になっている上司に、あるプロジェクトに対する助言をもとめました。私としては、参考までに上司の意見を、聞いておきたかったのです。上司は、すごく真剣に話を聞いてくださり、「優先する仕事があって、すぐに対応は出きないので、半日待ってほしい。」と話され、「私は、ありがとうございます、よろしくお願いします。」と伝え、その場を後にしました。
そう、すでにここで、私は過ちを犯していました。軽い気持ちで助言を求めた私と、少なくとも、いくつかの案を提示しなければならないと、感じた上司の間で、大きな【意識の隔たり】が生まれていたのです。
私は、「半日待ってほしい。」と言われた時点で、「もう少し、自分で取り組んでみて、やっぱり、解決できないようであれば、また後ほど、相談にのっていただけますか。」というような形で、上司の時間をいたずらに拘束しないよう、配慮すべきであったのです。
当時の私は、質問に対して、上司が〈とても深いところまで関わってくれようとしていた〉ことに、全く気付いては、いませんでした。
終業時間、間近になって、上司が質問に対する案をもってきてくださったとき、私は、不用意に、「明日でも大丈夫です。」と伝えた挙句に、「えー、こんなに考えてくださったんですか。ヒントだけ、なにかいただければ…と思っただけなのに。すみません。」と応じたのです。
はい、ご想像どおりです。これほどの怒りを、今までみたことがないというくらいの、凄まじい怒りでした。
それは、そうですよ。仕事の合間をぬって、部下のためによかれと思って、自分の時間を割いてくださっていたのですから。私は、上司の大きなご厚意を、【不用意な一言】で、無下にしてしまったのです。
私はこの激しい怒りに触れたときに、以下の教えを、体感的に、理解しました。
- 人に質問するときの自分の心の持ちよう、【覚悟】のようなものの重要性
- どのように伝えれば、誤解や意識のギャップを極力回避できるか、【慎重に言葉を紡ぐ】習慣。
- 相手が私のために捧げてくれる時間をイメージし、タイムリミットの設定を明確にすることが意味する【気遣い・気配り】の本質。
この一連の出来事は、一生涯の宝物になりました。上司とは、今でもつながっていますが、本当にありがたいことだと、その懐の深さに感謝しています。
私の失敗のように、安珍清姫伝説が言わんとしている教訓は、意外と、身近なところでみられる光景なのでは、ないでしょうか。皆さまも、安請け合いや、その場しのぎの言動で、自分の首を絞めぬよう、お含みおきくださいませ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
Kohyuzu(こうゆづ☆)