こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

OSHO禅タロット【罪悪感】のカードが教えてくれたこと、そして…覚醒のはじまり

ご訪問ありがとうございます。kohyuzu です。ようやく、暖かくなってきましたね。先週の真冬並みの寒さは、骨身に堪えました。おかげで、暖冬で着る機会がなかったニットに、腕を通すことができたのですが…。衣替えするほど、大げさに洋服を持っていなくても、こういうときは〈ズボラでラッキー☆〉と、堂々と言えます!

さて、本日も前回のブログ同様、スピリチュアル的な記事です。【霊視】という言葉に反応したあなた!ぜひ、最後までお付き合いいただけると、嬉しいです。


私の行動原理は、「善は急げ!」ならず、〈ピンと来たなら即行動〉で、完全に直観ありきである。大体、申し込みの段階で、24時間以上迷って受講したものは、実際に足を運んだとき、【ガッカリ👇>>>>>ヤッタネ👆】の公式に当てはまることが多い。特に、普段の自分からは程遠い、未知の分野に飛び込むときには、自分のヒラメキを大いに信頼したほうが、圧倒的に受講後の満足度が高いのである。その感触は、8割を超える。

この特性に気づいたのは、案外、最近のことである。自分で選択していると思っていた行動も、実は、刷り込み(インプリンティング)のもと、判断しているに過ぎないことを、ある瞬間、ハッキリと悟ったのである。

なぜか?それは、OSHO禅タロットを学び始めたときに、【雲8:罪悪感】のカードの出現率が高いことに気づいたからである*1。誰も責めてはいないのに、自分がつくり出した影におびえ、【私が悪い】と勝手に思い込むカード。つまり、グルグルとした思考の中に、自分を閉じ込めて、そこから飛びだすことに、抵抗していたわけである。

最初は、なぜ、このカードばかり出るのか?全く心あたりがなく、不審に思っていた。ところが、頭で考えるのではなく、心の感情にふれたときに、ふと違和感を覚えたのである。ワクワクする、心の底から楽しむ。その【感情】に、偽りはない。ある行動に付随する結果に、一喜一憂したとしても、その【選択】に、後悔はない。ンンン?

罪悪感のカードが、何度も出現する理由。それは…

  • 選択や決断という行為そのものではなく、なにを選択・決断するか、その【〈なに〉に対する条件付け】が、罪悪感を引き起こしている。
  • 条件付けは、恐らく、刷り込みに起因している。
  • 〈なに〉をなんらかの方法で、識別・区別して、刷り込みの価値のもとに、良い悪いを判断している。

まさに、この【思考癖】こそが、罪悪感のカードに結びついていたのである。このことに気づいた後には、驚くほどの覚醒がおきた。

  1. 直観で選択・決断するという、生き方に対する【引け目】
  2. 何事も、コツコツと積み上げること、目標に到達するために、順を追って成し遂げることが、正しいやり方であるという【思い込み】
  3. 子どもが大好きな両親に、孫との時間をつくってあげられなかった【負い目】

出るわ、出るわ…次々と。罪悪感に、心あたりはないなどと、よくも言えたもんだ!と、ひとり突っ込む私。ひとつの気づきから、カードに対する不審が、ドトーンと、払拭されていったのである。

 

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上記、赤字で記した部分(1,2)は、【霊視】の考え方を知ることで、潜在意識から顕在意識へと浮かびあがってきた気づきである。

ヒラメキ・直観をモットーに、私は生きている!この生き方から離れることは、私という【個】から遠ざかる。親しい友人は、こういう私を理解していて、尊重してくれている。それは、あくまでも近しい人【限定】での話。

一方で、私は、社会というコミュニティの中では【他者から求められる虚構の自分】を作り上げて、当たり障りなく過ごす。この小さな枠に、ガッチリはまった循環の中で、生きていたことに、ようやく気づいたのである。

  • あなたは、なにがしたいの? どこを目指しているの?(職種に一貫性がない。)
  • この目標を達成するために必要な行動計画がこれなの?無理でしょ。
  • 一足飛びにやろうとせずに、マニュアル通り、着実に実行して。
  • 1つのことをきちんと仕上げてから、次の仕事に着手するクセをつけて。
  • それは、あなたがやるべき仕事ではない。〇〇に、やってもらって。

これらの発言は、根本的な考え方が、私とはまるっきり異なる…と感じた他者のものだ。私は仕事で、締め切りを守らなかったり、分担した業務が終わらなかったりしたことはない。それでも、私の仕事のやり方に干渉する人々がいる。私は大いに混乱した。期限内に成果を出し、設定した目標が達成できるのなら、仕事上の問題はないと考えていたからだ。プロセスは、あくまで、個人的な創意工夫を発揮するクリエイティブな場所だと思っていた。

  • 目標が達成できない計画だね 👈いえ、達成できました。
  • マニュアルから逸脱したやり方 👈部分省略はあっても、手順はふんだ。
  • 同時進行で手をつけ、やり方に計画性がみられない 👈締め切りは、守ったよ。
  • 自分の仕事外のものに、手を出している。👈手が空いた人がやればよいのでは?

確かに、私のやり方は、他者にとっては、非効率で要領が悪く、結果がついてこないようにみえるのかもしれない。だが、この世に私にしかできない仕事なんてものは、存在しないのだ。と、同時に、私にしかできない仕事も、存在するのである決して詭弁ではなく、この矛盾にこそ【個の重み・面白さ】があるのだと思う。

いま、思えば、私は〈振り回される必要のない感情で自分を縛る⇒一方的に【罪悪感】を抱いて、気持ちを引きずる。〉こういった無限ループの中で、生きていたことがわかる。

では、こういった現象が、内向きに起こる場合と、外向きに起こる場合でなにが変わってくるのか。共通するのは、【人格の崩壊】である。極端に振れた場合には、どちらを向いても、なんらかの歪んだ形で現れる。

  • 内向き:私のせい・私が悪い 《自責の念》から、うつ病などの精神疾患発症
  • 外向き:他者・社会・国が悪い《人のせい》にし、傷害・殺人(未遂)へ発展

【霊視】は、〈不要な思考によって生み出される思い込み〉から、自分を解き放つ手段として、とてもパワフルな力を発揮するのだと思う。前回のブログに書いたとおり、霊視がもたらす衝撃は、計り知れないものがあった。よろしかったら、こちらの過去記事をご覧くださいませ。

hrmk9-wonder.hatenablog.com

 

もっと、体感してみたい!と、ただ、それだけの勢いで、私は、霊視の講座に参戦することにした。そう、この初回講座での学びが、上記の赤字で記した1,2の〈気づき〉につながったので、忘備録をかねて、長々と綴ってみました。

追って、霊視の考え方や講座の感想については、足跡を残していく予定です。

 

本日も、最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)

 

*1:雲:マルセイユ版・ウエイト版では、風の元素(Sword)にあたる。