こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

【感想】〈あなただけに読む朗読会〉を拝聴して。うるわしき朗読の余韻…演劇さながらに。

ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。3ヶ月ぶりに、夜、外出しました。犬の介護が始まってからというものの、日ごとに異なるシニア犬の体調変化に対応すべく、夜の外出は極力控えると、決めているのです。仕事のみならず、習い事に、通院に、色々と忙しい相方に、この日だけは!と、予めリクエストして、待ちに待った〈朗読会〉へ、行ってきました。とりあえず、この瞬間の興奮を忘れないうちに、書きとめようと思う。


4/16の夜、小堀望先生主催の〈あなただけに読む朗読会〉へと、急ぎ、足を運んだ。感想は【幸せ∞】の一言に尽きる。【心が震える・色があふれる】とは、きっと、このことだ!

これまで、友人に誘われて見に行った舞台、演劇、プロのミュージカル、かの有名な劇団四季の鑑賞中でさえ、最後まで集中することができずに、みたび居眠りしてしまったという、逸話をもつ私。「2時間、落ちることなく、聞いていられるかな。」とは、なんと、愚かしく、おこがましく、無用の心配か!

朗読の世界を人の手で、プロとしての意識・プライドをもって創りあげるって、こういうことなんだ。まるで、舞台そのものが、たゆまなく呼吸を続け、躍動しているようではないか。舞台に立っているのは、朗読家と演奏家、ただ二人。だが、いつの間にか、物語の登場人物が現れて、舞台上でイキイキと演じているかのような…不思議な感覚に包まれていた。

人物の台詞にのせられた魂のごとき声、息遣い。(行)間・楽器のしらべが担う場面転換。そのひとつひとつが、凛とした程よい緊張感と一体感を生みだしている。以前、どこぞで聞いたような、独りよがりで、退屈な朗読とは、まるで違っている。


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朗読のなかには、アナウンサーやナレーターのごとき音感、滑舌、聞きやすさ、アクセント、イントネーションの正確さ…などを重視して、これこそが正統だ!と主張するような世界も、確かに存在している。それはそれで、美しく、折り目正しい朗読であるのだろう。

だが、そういう正しさをまとった朗読は、たいていの場合、【主役は朗読家】なのである。私が感じたある種の【気持ちの悪さ】は、きっとそこにある。臨場感、リアリティーが、なんとなく欠けていて、物足りないのである。

物語の主人公たちが、読み手をとおして、ひとり歩きをはじめ、自由に舞台を駆け回る。主役はあくまで、演目・物語にあり、そこに登場する人物たちである。朗読家は、舞台の上では、黒子でよい。朗読を聞きながら、そのようなことを感じて、私が目標とする朗読の在り方・道筋が、キラリとみえた瞬間でもあった。

初めて、真剣に聞く朗読は、【朗読の喜び・無限の可能性】を、存分にみせてくれた。「しみじみ、来てよかったなー、幸せだなー。」機会を与えてくれた皆さまへ、心から感謝したい。ありがとうございました!

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)