【霊視】を体験して考えた。スピリチュアルってなんだろう…?その1
ご訪問いただき、ありがとうございます。Kohyuzuです。今日は、いつもとは違う切り口のお話を、ずばり【スピリチュアル】と括られているモノについて、私なりに感じることを書いてみようと思います。
【スピリチュアル】という言葉を聞くと、無条件に拒否反応を起こす方々がいらっしゃいますが、知らないことを知ってみるという【好奇心】で、まずは、先へと読み進めていただけると嬉しいです。その上で、「やっぱり受け入れられない」、「そういう考え方もあるのか」と、判断していただければ、よいのではないでしょうか。
その前に、なぜ、私がスピリチュアル的なこと【霊視】に興味を持ったかについて、知りたい方は、こちらの過去記事へ👇
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第二幕〈守護妖怪noことほぎ〉一覧表、第三幕〈不易妖怪noことほぎ:7/8~14の教訓〉だけを読みたい方は、目次からどうぞ。
なぜ、〈スピリチュアル〉について書こうと思ったか、それは、過去記事にあるように、セッションを受けて【霊視】の破壊力に衝撃を受けたところから、興味を抱いたわけですが、記事を読んだ皆さまが〈どのように感じるか〉、自分自身に問うてみて欲しいと、単純に思ったからです。私自身が霊視を学びはじめて感じたことを、率直に綴ってみようと思います。
あくまで【初心者向け】のスピリチュアル入門的なお話です。ご了承くださいませ。
WHOが定義している【健康】の概念
1986年オタワにて、全世界の全ての人の健康のための憲章が掲げられました。ここで初めて【健康】という定義の共通の認識を、国際会議の場で採択したのです。
オタワ憲章では、健康は、〈平和・住居・教育・収入・安定した環境・持続可能な資源・社会的公正と公平〉などの8つの条件が挙げられました。これらを達成するための基本的な戦略として、1998年には、Advocate/Enable/Mediate(支援する/可能にする/調整する)の3つが定められています。さらに、2005年にはバンコクでヘルスプロモーションに関して、さらなる実践的目標が加わりました。
さて、オタワ憲章の全段階として、1946年に世界61か国で定義された健康についての文面が、皆さまもよくご存知のこちらです。日本では1951年に条約公布されています。
Health is a state of complete physical, mental and social well - being and not merely the absence of disease or infirmity.
『健康とは、完全な肉体的、精神的、および社会的福祉の状態である、単に疾病または病弱の存在しないことではない。』到達しうる最高基準の健康を享受することは、人種・宗教・政治的信条または経済的、もしくは社会的条件の差別なしに、万人の有する基本的権利の1つである。(なんとも、堅苦しい訳ですね。)
この定義が、1998年に見直されて、以下のような文句の付加が提案されます。
Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.
- dynamicは、健康と病気の連続・流動性を意図しており、固定した状態ではないということを意味している。
- spiritualは、人間の尊厳や生活の質(QOL)を考える上では、必要な視点であり、本質を問うものである。
WHOにとって、〈スピリチュアル〉とは、医療ケアそのものを指すのではないのだという。あくまで、人間を自然発生的な環境の一部ととらえたときに、よりよく生きるために必要な考え方である捉え、その生き方・生き様を示唆するものであるそうです。
また、その意味するところには、
- 絶対的な存在とのつながり
- 人生の意味
- 自然への畏怖
- 統合と一体感
- 心の平安と安寧
- 希望と楽観性
- 信仰
- 霊的な強さ
などの概念を含んでいるといわれています。
80年代は、ホリスティック医療、代替医療が、ようやく日本にも受け入れられらようになった走りの時代であったように思います。私は今から20年程前、90年代にアロマテラピーや色彩、フラワーエッセンスなどを暇つぶしで学んでいましたが、その頃は、今ほどアロマテラピーもメジャーではなく、周囲の理解を得るのが難しい時代でした。
【チャクラ】いう言葉も、今では、会話の中で受け流すことができるくらいに浸透していますが、あの頃は、この人何言ってるのかしら、大丈夫?というのが大方の反応でした。実際、私もチャクラは、意味が分からなくて???と思って、聞いていました。
話がそれましたが、なにが言いたいのか。つまり、WHOの健康の考え方にも、〈スピリチュアル〉という概念が使用されているということです。なにも、特別な人だけが、学んだり、享受したりするものではなく、生きていれば、ごく、自然にスピリチュアル的なことに触れているということを意味しています。
日本語では〈霊性〉と訳すので、特定の人が享受する特別なもののように覚えて〈スピリチュアル=あやしい〉という認識が、世間一般的な反応として浸透していったのかもしれません。実際に、人は未知のこと、分からないことに対しては、恐怖や不安を感じやすいです。結果、自然と防衛機制が働くために、拒否反応が起こりやすくなります。
最近、よく聞く「ワンネス」ってなに?
さて、スピリチュアルの話をするとき、必ずといってよいほど出てくるのが、〈波動・オーラ・集合無意識、そして、ワンネス〉などの単語です。改めて、人に聞かれた場合に、皆さまはどのように説明しますか?
この中で私が日常的に使っている言葉は、〈オーラ〉でしょうか。例えば、初対面の人の第一印象で、雰囲気が優しい感じがするときには、その空気感を表現するのに、『柔らかなオーラを身にまとっている』…などと、使うことがあります。
また、波長という言葉は、会話の中で出てきても、特に違和感はないですが、〈波動〉という言葉は、日常的には、あまり使われない気がします。スピリチュアル系の集まりでは、普通に飛び交っている言葉ですが、私はまだ、ちょっとした違和を覚えます。集合無意識も、ワンネスも、同じように、一部の人たちが頻用するイメージがあります。
どの言葉も、意味のニュアンスは違うのでしょうが、皆さんは、明確なイメージがわきますか。そもそも、〈魂〉という言葉を説明するときにも、スピリチュアル的な学びに参加したことがある人と、そうでない人では、かなり解釈の振れ幅が大きい気がします。
私が、いま体験している【霊視】は、私たち人間という存在は、【神の一部】であるという考え方が前提にあります。神というのは、無限の可能性をもち、様々な事柄を可能にするエネルギーの〈源泉〉を指すのだそうです。かけ流し温泉の源泉をイメージするとわかりやすいでしょうか。えっ?かえってわかりにくい?イメージが貧困で失礼しました…。
〈神・源・ワンネス〉という言葉は、無限の可能性を【潜在から顕在へ】と導くもの。私たちは、その可能性を探求し、成長し、進化し続けるモノの一部である。つまり、我々はみな【神の子】であるという考え方です。どうでしょうか。受け入れられそうですか?表現が気にくわないでしょうか。
私たちは瞳がとらえたものを視覚として認識するときには、脳が反応(視神経の介入+光を通して網膜上で像を結ぶ)する。あくまで、この反応を引き起こすのは、司令塔の【脳】である。そして、脳が反応し感知したものだけを、我々はみているということ。それも、個々人が、みたいように、モノをみている。
例えば、同じ木の〈ソメイヨシノの桜〉をみたとしても、人によって、桜のピンク色の見え方、捉え方は異なるという前提がある。そして、自分がみている景色を、どんなに言葉を砕いて、相手に説明したとしても、全く同じ景色を像として結ぶことは、できないということ。つまり、同じものを見ていると、証明する術はないということ。裏を返せば、同じでないという証明もまた、できないということ。思考することさえも、単なるエネルギーであるという考え方です。
私たちが生活している世界は、すべてエネルギーで成り立っていて、我々がそのエネルギーを自分自身の思うとおりに動かして、この世の中を創造しているのだといいます。
スピリチュアルの世界観〈感じる〉
この【エネルギー】というものを、頭でとらえたり、考えたりしないこと、つまり、討論したり、理論を組み立てることに執着するのではなく、ただ、【感じるだけ】にするということ。思考(タロットではソードにあたる)は、過去に固執し、未来に不安を抱かせるものなので、スピリチュアル的には、役に立たないというのです。
タロットカードを見てみても、思考を司るソードは、人生の障害を象徴するどちらかというとネガティブなイメージが付加された数札が多いです。
思考を静めて心の奥底、内面に深く入って触れること≒〈瞑想〉でリラックス、頭を空っぽにするとき、この瞬間が、私たち人間がとても〈パワフルな存在〉であるのだと言います。こういった物事の感じ方が、スピリチュアルの特徴的な世界観なのではないかと、私は感じています。
つまり、考えたり、思ったり…で表現するのではなく、〈感情・体感〉でとらえる。身体の感覚がとらえたもの、例えば、〈胸がドキドキする、胃がキリキリする〉などを、身体に一時的に覚え込ませて、しっかりと感じきった後に、解放するというやり方です。
そして、この【感じる】という感覚は、わたしたち人間に、予め備わっている五感です。〈視覚・触覚・嗅覚・味覚・聴覚〉これらを総動員して知覚することができる人間という生物は、みな、霊的な存在であり、自然と霊感をつかって生きている存在だということになります。
イメージの先行と時代の変化
私は、スピリチュアルという言葉のこれといった定義がないために、イメージだけが先行して、様々な方の様々な解釈で、縦横無尽に世の中に広がった結果、事象や現象だけが独り歩きを始めて、スピリチュアルの受け入れが、ややこしくなってしまったのではないかと感じています。
言葉の解釈って、人それぞれですよね。もちろん、辞書という指標はあるけれど、それが必ずしも正しいとは限らない。
そういえば、半年くらいまえに、ある人が、Twitterで『知性』とは何ぞや?とつぶやいていましたが、そのコメント欄の賑やかなこと。誰一人、同じ言葉では表現していなかったので、非常に興味深く拝見しました。括りの方向性は一緒でも、全く同じ表現というものはない。つまり、解釈したいように解釈するということの典型だと思いました。
そして、この自由さこそ、個性であり、面白さであると感じます。
ちなみに、相方にこのお題を聞くと、即「識別力・判断力かな」と、返ってきました。私は、知性という単語に対しての私なりの答えを持ち合わせていなかったのに気づき、10分くらい考えてしまったのですが、相方は、1秒さえも考えていなかったです。即答でした。こういった反応の違いも、エネルギーと関係しているのかもしれません。
現在は、空前の?スピリチュアルブームでありますが、この先もブームに留まらず、人々の身体の中に、自然と根づいていく方向にむかっていくような気がしています。物質的な充足、現実主義(安定・安心の会社員の代表である公務員)から、感覚に身を委ねて創造性を発揮する芸術家たちの精神のヴィジョン化が主流となる時代へ、非常に遅々と、緩やかに…ではありますが、変化していっているように感じます。
このスピリチュアルという世界は、なかなかにユニークでタフです。私も、現在進行形で、自分なりの感覚で受け取って、かみ砕きながら言葉にしているところで、一気に書き上げるのは、難しいですね。
ここまででも、かなりの長さになってしまいました。しかも、結論がないというオチ。これでは、一石を投じていません…。それでもなにかしら、感じていただけるとよいのですが…最後まで読んで、おつきあいくださった方には、感謝しかありません。
本日は、ここまでといたします。次回は、オーラ(生命エネルギー)やチャクラの捉え方について、私なりの解釈を加えていく予定です。
骨が折れると思いますが、おつきあいいただける方は、一緒に、学んでいきましょう。
妖怪365第三幕〈7/8-14の妖怪Lineup:4択〉
今週のあなたへ送る【不易妖怪noことほぎ】。〈第三幕:三の手(発展編)〉始まりました。妖怪から繰り出される課題をクリアすることを意識して、一週間を過ごしてみてください。日々の行動を注意深く観察することで、物事の本質をとらえる見方が、徐々に発展していくイメージです。週に1回、月曜日0時頃に配信していく予定です。ご参考までに。
- 年神(トシドンとも)
時間を無理にコントロールしようとせずに、身を任せてみましょう。瞬間、瞬間の喜びを感じるのです。 - 付喪神
新しいものと古いものを融合した〈豊かさ〉について、あなたの考えをまとめ、記録してみましょう。 - ヒダル神
1週間の食事の献立を書き出してみましょう。間食や運動についても、記録してみましょう。 - 沓頬(くつつら)
シンプルな行動、言葉を選ぶことを意識しましょう。他人の眼より、自分の判断を信じましょう。
自分にとって、取り組みやすい課題もあれば、難しそうな課題もあると思います。それでも、自分で選択したものが、あなたに、今、必要な視点です。
信じるも、信じないもあなた次第。行動するも、行動しないもあなた次第。そう、選択するも、選択しないもあなた次第なのです。
選択したあとの、行動をどうするか、それも、あなたが選択の鍵を握っています。人生は選択の連続です。そして、選択に瞬発力があればあるほど、面白いほど人生は変わっていきます。ぜひ、その体験、人生の躍動を、妖怪と共に感じてみましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
Kohyuzu(こうゆづ☆)