アニメ《約束のネバーランド》への期待が止まらない!シンプルに魅了されたという四方山話
Kohyuzuです。1月からのテレビ放映で、毎回楽しみにしていた《約束のネバーランド》が、とうとう終わってしまった。同時期に放送されていた、一色まことさんの《ピアノの森》は、コミックを愛蔵する程に、大好きな作品である。また、リアルタイムで読んでいた《BANANA☆FISH》も、アニメ化されたおかげで、思いがけず、懐かしさを十二分に享受することができた。実写化よりアニメ化が嬉しい私。
アニメ《約束のネバーランド》の続きは、2020年の放映までお預けだが、1年後がとても楽しみだ。コミックは買わずに、ワクワクを先延ばしにすることに決めた瞬間でもある。先日、本屋で、コミック最新巻の表紙に〈ノーマン〉が描かれているのを目にして、「やっぱり、生きていたのか!」と、安堵した。
実は、〈ノーマン〉の生死について、我が家でひと悶着あったのだ。相方は、アニメの第一話を見終わった時点で「ノーマンは死ぬな。」と、唐突に言った。私は「あんなにかわいくて、気の利いたキャラクターが、捨てキャラのはずはなく、絶対死なない!」と主張した。だが、相方の読みは当たることが多いので、【出荷】が決まったとき、大いに、落胆したのである。
それにしても、最近の漫画は、一度読んだだけでは、頭の中で整理しきれない。伏線が幾重にも張り巡らされていて、ややこしい。その割に、なんとも味気ない最終回に、拍子抜けすることも。
目新しさや話題性の追求が先行しているのか、ただ、読み手を混乱させたいだけなのか、作者の真意が、なかなか伝わってこない。面白いのか、これから面白くなるのか、ハッキリと判断できず、惰性的に読み続けている作品も、少なくないのである。
まぁ、ついていけないのは、単に、私が年をとっただけなのかもね…。
《約束のネバーランド》は、主軸となる登場人物エマ・ノーマン・レイ。この3人のキャラクターが際立っていて、話の展開がわかりやすい。私にとって、すべてが【程よい構成】に、仕上がっている。謎も程よい、仕掛けも程よい、絵も程よく愛らしい。さらに、レイが発言するたびに、アニメ《HUNTER☆HUNTER》のキルアが話しているように、錯覚できたことも大きい。喜びの無限ループにピタリとはまって、純粋に夢見心地を堪能することができた。第一期の【終わり】の余韻も、素晴らしく、納得の良作だ。
第二期放映にむけては、最終話、後半のシーン。イザベラの回想に出てきた男の子〈レスリー〉の存在が気になるところ。独特な感性をまとった、渋い雰囲気のあるキャラクターだったので、「そのうち、また会えるとよいなー。」と期待してしまう。この後の展開は、やや窮屈に感じるテンポで進んでいくかもしれない…という、予感はあるものの、トキメキの方がはるかに上回っている。
とかく、便利な世の中。方々に散らばっているネタバレ情報をみないよう、細心の注意を払って、一年間ワクワクしていようと決めた。
ところで、アニメ放映の話は、単なる前書きであったはずなのだが、わかりやすく興奮してしまい、勢いあまって、アララ…1,000字に、達してしまった。そして、ブログに費やす目標設定の時間、60分にも【程よい】頃合いである。というわけで、本題は、別の機会に書くことにした。
【本末転倒】とは、このことですね。でも、自然、逸れていく感じが、いかにも私らしい気がしている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
Kohyuzu(こうゆづ☆)