こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

昼下がりのサロン【貴婦人の朗読会】に、ドキドキしたお話

ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。台風一過後の夕焼け、そして、お月さまがとても美しい…と、連日思っていたら、一転、肌寒く曇りがちの空に。今日は、中秋の名月ですが、あいにくのお天気。我が家では団子を食べます。月見より団子です。

今回の台風では、停電が続いている世帯も多く、熱帯のような暑さが続く中で、電力の供給がストップしてしまうのは、生命を脅かすような危機的状況。自然が猛威をふるうたびに、右往左往する我々人類に対して、なにか、強烈なメッセージを伝えてきているような気がしてなりません。

そうして、翌日は、鉄道各線の半分以上が運転再開までの時間を要していました。久しぶりに、朝の通勤ラッシュ以上の混雑と化した体験は、恐怖の時間でした。あまりの人の多さに、肋骨が折れてしまうかと思いました。私の使用している路線は、平常運転だったのですが、まさかこれほどの人が押し寄せようとは!

東京は、日頃から、どこからこんなに人が湧いてくるんだ!と思うほどに、人がいますが、今回の台風で、さらにその意識が強く刻み込まれた気がします。人混みをつくっている私自身もまた、その湧いてくる人波の一員なのだと、自覚していなければ、とても自分の足でたって生きていけない場所であるなぁ…と、感じた一幕でした。

 

さて、本日も朗読会の話題です。ここのところ、1年前の私の中には、一滴の要素もなかった演劇や落語、そして朗読会へ足を運ぶことが増えてきました。

そのとき、ふと、年少の頃、母親がたまに、図書館の絵本の〈読み聞かせ〉に連れて行ってくれていたことを思い出しました。けれど、その頃の私は、じっとしているのが苦手で、〈読み聞かせ〉にはすぐに飽きてしまったのです。自分で絵本を開いて、読みたい欲求の方が勝っていたのですよ。他の子たちがおとなしく【朗読】を聞いていた風景を思い浮かべながら、当時の記憶が鮮明に戻ってきました。

そうだ!あのとき、私は強烈に叱られる体験をしたのであります。そう、いつも閉まっていたグランドピアノの蓋が開いていたのですよ。そりゃー、気にもなります。そのことが、気になって仕方なかった私は、いてもたってもいられなくって、おもむろに立ち上がると、ピアノへと一直線。思い切ってピアノの鍵盤に手を伸ばして、音を鳴らしてみたのでした。

そのときの興奮といったら!高尚なピアノの響きに、私は一瞬にして心を奪われました。もっともっと…と思ったときには、私の視界からピアノは消えていました。

ん…?

母親は真っ赤になって怒るわ、係員の方へ謝るわで、てんやわんや。私はなにが悪いのかわからずに、ポカーンとしていたのでした。謝りなさいといわれても、ただ、触ってみたかっただけなのに…と。そういって、ますます母親を怒らせたのでした。

そうだ。このときの出来事が原因で、私は、積極的に、図書館には足を運ばなくなってしまったんだ!もちろん、読み聞かせにも行かなくなった。こちらは、どうしたって、ピアノが影響しているのではなく、じっとしていられないことが問題だったような気もしますが…。

何十年も経って、同じようなシチュエーションに遭遇した時に、ふと、封印していた記憶が蘇ってくるのですから、人間の脳というのは面白いですね。

 

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脱線してしまいました。とある昼下がり。私は、お声かけいただいた朗読会へと足を運びました。そうして、ワクワクしながら開催地に到着したとき、私は、ひるがえって、〈帰ってしまおうか〉と思いましたね。〈場違いな場所に来てしまった〉と。いつもの普段着…それでも、デニムパンツを履いていなかったことだけが、唯一の救いでした。足元は、黒色といえど、スニーカーもどきのカジュアルな靴。

それでも、思い切って扉をあけ、「2階へどうぞ。」と声をかけられたとき、店員さんが私の足元を見て、一瞬、眉をひそめた瞬間を、私は見逃しませんでした。〈やっぱり、帰ろう〉そのようなことを考えていた矢先に、ふと視線を階段へ移すと、足元が不自由な老齢のご婦人が、付き添われて階段を上っていくのが、見えました。すると、その足元は、誰が見ても見紛うことなき、【スニーカー!!!】では、ありませんか。

〈あっ!〉と、立場違えど、そのスニーカーが神々しくみえました。私は、瞬時に【許可が下りた】と感じました。眉をひそめた店員さんの表情も、気のせいのように思えてくるのだから、勝手なものです。

2階にあがってからも、私の試練は続いていました。〈社交サロンですか!ここは…。えーん、やっぱり【許可する】と感じたのは、気のせいだったんだ。〉中心は、60-70代とおぼしき老齢のご夫婦の優雅な朗読サロン。身なりもきちんとしていて、穏やかな笑みを浮かべている。アクセサリーも上品にさり気なく、佇まいも洗練されたしなやかさ。〈まずい…これは、ますます、まずいぞ。しかも、どこに座っていいのか分からない…。ガーン。〉

再び、〈あら、この小娘は、どこから迷い込んで来たのかしら…〉と言われている気がする…。それでも、ひきつった顔になんとか笑みを浮かべて「お席は自由ですか。」と聞いてみる。「どちら様のお知り合いですか…」と聞かれ、「〇〇さんです。」と伝えた瞬間、相手の表情をみて、再び、【許可が下りた!】と感じた。

促されたテーブルを見ると、1席だけ空いている。〈助かった!〉何席も席が空いていたなら、足がすくんで、決められないだろう。そうでなくても、完全に浮いている私なのだ。空いているお席に、しずしずと座る。周囲の方々はお知り合いらしく、和やかに談笑している。〈エーン、やっぱりアウェイでは、ないですか!なんの罰だというのでしょう…〉

その〈心の声〉が伝わったかのようなタイミングで、隣の席の方が、声をかけてくれた。私を朗読会に誘ってくれた方とは、旧知の間柄だという華麗なマダムたち。その方々は、朗読会が始まるまでも、休憩中も、会が終わるまでの間、ずっと、気遣って話しかけてくださいました。〈あーん、感謝感激雨霰*1…もはや死語?〉そのおかげ様様で、朗読会には、とても集中して、楽しく参加することができました。本当に、ありがとうございました。

 

さて、肝心かなめの朗読会の感想は、とにかく『胸に沁みわたる!』の一言に尽きる。今まで体験した朗読会とは、ひと味もふた味も違った、味わい深さを噛みしめるような朗読でした。もちろん、年齢層が高い…ということも、特徴のひとつかもしれません。その読みからは、私のような小娘では到底表現できない、経験の凄み、生き様のようなものが灯しだされ、見事に反映されていたような気がします。

なんといっても、読み手が自由に選んだという、朗読の素材が素晴らしかったです。読み手の悲喜こもごもの人生を彷彿させる語りは、はじめから読み手の体験であったかの如く、その物語の中にストンとおさまって、あるべき場所に連れていかれたかのような【錯覚】に陥りました。

アクセントとか、滑舌とか、読みのテクニックとは、別次元での物語が、そこにはありました。そっと、そこで待っていたかのようにほのぼのとして、だけど、そこにはシビアに光るメッセージ性も確かに存在していて、なんとも複雑な感情が溢れてきました。

備忘録的に、作品名を残しておきます。

  1. 東 直子『とりつくしま』より「ロージン」
  2. 北村 公一「生きるのに疲れたらサッチモを聴こう」
  3. 唯川 恵「玻璃の雨降る」
  4. 夏目 漱石吾輩は猫である
  5. 原田 宗典「ぜつぼうの濁点」
  6. 新美 南吉「手ぶくろを買いに」
  7. 山川 方夫「朝のヨット」 ⇒ 内海 隆一郎「天ぷらそば」

この作品の中で、初めて聞いたのが、北村公一さんと唯川恵さんの作品。二人の作家の作品は、一度も読んだことがないので、しっとりとした落ちつきのある大人の恋にドキッとしました。題材として面白いと思ったのは、原田宗典さんの作品。濁点がぜつぼうするというコミカルな内容ですが、とてもひきつけられました。

東直子さんは、私も詩人・歌人としての作者の作品がとても好きなので、こちらの作品もつい先日、読了したばかり。「死」に向き合う母という悲しい現実の視点が切り取られた作品ですが、なんとも晴れやかで伸びのある語りで、最初から感動してしまいました。

夏目漱石さんは、言わずと知れた文筆家。吾輩である猫に、ビックリするほど読み手が憑依していて、イキイキとした猫の鼓動を、すぐそこに感じるようでした。耳を澄ませば、情景が写り込む、ユーモアあふれる語り口は、素晴らしかったです。

最後のお二方は、もう、さすがというか…プロ登場!といった貫禄でした。新美南吉さんの繊細な作品に、完全にシンクロしたような情緒豊かに仕上げられた読みに、安心して身を委ねて…気持ちのよい乗り心地といった感覚に包まれました。

内海隆一郎さんの作品は、有名ですね。聞いているうちに思い出しました。この内容は正直〈ずるい!〉と思いました。だって、ほぼ、泣いてしまいますもの。認知症というテーマに真摯に向き合って丁寧に描かれた作品に、語り手が、俯瞰しているような…それでいて、寄り添っているような…絶妙な距離感が心地よい。やはり、ウルッとしてしまう作品でした。

 

サロンを後にするときには、入口で感じたような【卑屈な感情】は、幻のように、一掃していました。気持ちは軽く、跳ねながら歩きたくなるような駅までの帰り道。思い切って、参加してよかったと思える、心に響く朗読会でした。

ご縁のあった温かい皆さま、素敵な時間を共有いただきまして、本当にありがとうございました。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)

 

*1:日露戦争時、軍事物資を積んだ輸送船「常陸丸」の砲撃事件の悲劇が由来。乱射乱撃雨霰が転じて生まれたとされる言葉で、雨霰のような激しい降りを文字って、〈深い感謝〉を意味する言葉として使われるようになった