こうゆづ☆の【とおまわり】

令和元年12月に、ブログタイトルを変更しました。心の動くままに、とっちらかったテーマで書いています。

妖怪noことほぎ★今日と明日の30文字なるもの【the 15-16th】

ご訪問ありがとうございます。Kohyuzuです。早速、本日も妖怪がおくる【今日と明日の30文字なるもの】のメッセージをお届けします。それでは、いってみよー!

 

【0522】今日の妖怪365

煙羅煙羅(えんらえんら):優游涵泳 
《はじめの一歩》五感をフルに使って、季節の移ろいを、花鳥風月を感じてみましょう。

 

【0523】明日の妖怪365

清姫(きよひめ):軽諾は必ず信寡し
《はじめの一歩》意思表示は、ハッキリ行いましょう。今は、言葉の伝え方を学ぶときです。

 

今日の妖怪は、【煙羅煙羅】でした。今日では日常で、ふいに煙が漂ってくるような場面に出会うことは、少なくなりましたね。銭湯の煙突も、トンと、みかけなくなりました。蚊とり線香やお線香も、今では【無臭無煙】のものが好まれるようです。

お線香からたちのぼる煙には、死者を弔うという儀式的な要素以上に、この世に残されたものたちが、愛する者を天まで一緒に送っていくような想いに寄り添い、浄化していく象徴的な意味合いも、多分にあるのではないでしょうか。

煙が形を変えるごとに、あたかも、自分の知っている人の顔のようにみえたり、特徴的な生物にみえたりするのも、人の心に、思い入れのようなもの、感慨深いなにかが、あるからだと思います。ポッカリ浮かぶ雲を見上げると、クジラに見えたり、孫悟空にみえたり…幼い頃に、見あげた空は、空想の遊び場であったような気もします。

先日、友人が「私、世の中に花見をしている人たちが、こんなにいるの、知らなかった。近所に桜の木があることにさえ、気づかなかった。仕事場への往復は、常に、段取りを考える時間で、自分の手元ばかり見てた。現場を離れ、事務職に転職してみて、本当によかった。人間らしい生活を忘れるところだった。」と話した言葉が、とても印象的でした。彼女にとって、夜勤を伴う仕事と家庭の両立の日々が、いかに、目まぐるしく、余裕のない日常であったかが、分かります。今後は、彼女にも【煙羅煙羅】がみえるようになることでしょう。

今日は、日本全国、晴れ間が広がりました。自然を間近に感じるには、最適な日ではないでしょうか。いつもはオフィスでとる食事を、外にするとか、なんとか、かんとか。皆さまは、どのような1日を過ごされましたか?

 

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今朝は、ひんやりとした風が心地よい【犬の散歩道】でした。水面に差し込む太陽の光が、キラキラと反射して、スズメや雲雀がさえずり、会話しているかのごと、〈ピーチクパーチク♬チュチュン〉とないている。新緑の若葉が朝露をおとして、大地をしめらせ、しっとりねっとりとした土の香りを運んでくる。そうして、規則正しく列をつくった蟻たちが、朝早くからせっせと働き、その傍らでモゾモゾと這いでてくるダンゴ虫。雨の日の翌朝、晴れた日は、ことさら、風が運んでくる大気が澄みわたり、緑がまぶしく感じられるのです。

イヌたちも、それはもう、味わうように丹念に、土・草・アスファルト(中でもマンホールが好き)を嗅ぎまわり、なわばりの匂いを探しては、止まって…を繰り返しながら、歩きます。雨天や寒い日には、極端におぼつかない足取りも、気持ちだけは100倍軽やかにリズムを刻み、〈トコトントントコトコッ・カックン・ヨレヨレ♭〉しながらも、とても楽しそうなので、こちらも、嬉しくなります。

我が家はルーチンで1日3回、散歩しますが、日によっては、2-3時間おきに出るときもあります。今では、誘導すれば、家でもトイレをしてくれるようになりましたが、やはり明るい空の下、散歩をするのは、イヌにとっては、無上の喜びのようですね。

 

実家で暮らしていたイヌも、最期のときまで、庭ではなく、いつもの散歩道を歩くことを【潔し】と、していました。すでに、自らの力では立てなくなって、後ろ足は特におぼつかなかったのですが、それでも、亡くなる前日まで散歩に行ったそうです。

私は、すでに実家を出て、他県で暮らしていたのですが、亡くなる2週間ほど前に会いに行きました。愛犬の姿をみて、直感した私は、すぐに妹に連絡しました。「もう、長くないから、会いにくるように。」と。そうして、家族全員に挨拶をした、数日後、両親に看取られながら、【虹の橋】を渡ったのです。

父親の手のひらに掬い上げた水を、2度ペロペロッとなめて、まるで、末期の水をふくむかのように、息をひきとりました。父は、まるで「ありがとう。」と言われたかのように、感じたそうです。律義で賢く、猫に引っかかれても、静かに耐えているような、気立てのよい優しいイヌでした。あぁ、思い出すと、涙があふれてくる…。何年経っても、愛犬と過ごした時間の記憶は、薄れることがないのだ。愛おしさこみあげる、今日という日でした。なんて日だ!なんて、贅沢な一日か!

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

 

Kohyuzu(こうゆづ☆)